一粒万倍。
米にしても、豆にしても、一粒の種がうまいこと育つと、万とはいかぬまでも、何十、何百もの種を生む。(種もみ。だいぶ余してしもた。)(直播苗。種もみ一握りでこんだけ苗が育つ。これが育って全部実ったら...。)実際育てて収穫してみると、昨今耳にする食糧危機などという言葉はピンと来ない。わが国の食糧自給率の低さすらも、にわかに信じ難い。それらのことが起こるとするならば、人のやり方があまりにもまずいのではないか、と思う。作物の育たない環境を自らこしらえてしまったり、わざわざ遠くの物、不自然な物を求めたり。そうやって、奪い合わせたり、競争させたり、という地盤を作れば、お金儲けにはなるかもしれないが。奪い合うのではなく、分け合えば、治まるのではないか、というのは甘い考えか?そうこうしているうちに、遺伝子組み換えの種などという代物がばら撒かれつつある。それ由来の種が広まっていくと、特許料が某社に転がり込む仕組みだとか。大きな企業なのに、やることがコスイのね、とあきれてしまう。そんな利益より、自然が侵食されていく危険の方が圧倒的に恐ろしかろうに。もちろん人のからだを含めての自然である。分野は違えど、ワクチンやiPS細胞。先日は他の生物のからだの中で人の臓器を育てるなどという話も公開されていた。いずれも根っこに同じような臭いを感じる。一人の人が子どもを何百人も生み育てることはできない。が、一生の中で、何かしらたくさんの影響をおよぼす。それは種まきといっしょ。当然、悪影響も及ぼしまくるわけだが。それは周りが教えてくれる。が、自分の利益に囚われていると、周りから感じとることはできない。気づくことはできない。そこで、分け合う、だ。ところで、自家採種を分ける試みを始めた。まだまだ、分けられるものは少ないのだが、とりあえず、先日採集したグリーンピースと空豆。豆は庭だろうが、どこだろうが、多少土地が痩せていても育つ。ましてや、うちの種は荒地で生き延び、つないできた命だ。これをきっかけに、土に触れ、自ら育て、収穫し、食す、そんなごくごく当たり前の喜びを分かち合えれば、と思う。というわけで、種のいる方はご連絡ください。