病と死。
病死、という言葉がある。この解釈。病気が原因で死ぬ。と多くの人は思っているのではないだろうか。人が死ぬのは命が燃え尽きるからである。病気が原因ではない。病気で死ぬのではない。たまたま、病気、という状態の時に命が燃え尽きれば、病死だ。あまり、意味の無い言葉だ。病気が死の原因、という思い込みが、過剰に病気に囚われ、病院に頼り、人生を狂わせている節を感じる。命が燃え尽きる時は誰にも分からない。今ピンピンしていても、次の瞬間、突然、隕石が降ってきて、命が燃え尽きるかもしれない。若かろうが、老いていようが、病気だろうが、何だろうが。死ぬ時は死ぬ。だから、当然、余命など医者にわかろうはずもない。その宣告が実際と近似してくるのは、そう判断して行動していく医者に流されるからである。医者は無意識的に、宣告の方向へと導いてくれる。言葉に乗ってしまうのだ。占いを聞いて、その言葉に導かれるのと同じだ。ただ、余命を宣告されて、良いこともある。自分を真剣に見つめる機会を与えられるからだ。何が自分にとって本当に大事か。はじめて、そこから自分の人生がスタートする場合もあるだろう。まわりも同様である。パニックを起こしている時間すら惜しい。本来、宣告されようが、されまいが、皆明日をも知れぬ命。一寸先は闇。それを認識し、真剣に生きることができる。そして、医者に流されなければ、命燃え尽きるその日まで、充実した時間をおくることができるのではないだろうか。もちろん、それは自分次第、自分の人生なのだから。