H27.4/28整体体操教室。
以下、先日の内容。 ・手指の運動、手指をやわらかくする ・指を開く ・礎 ・棒を使って、腰を入れる ・棒を使って、腰を入れたまま歩く ・棒を繰る1 ・棒を繰る1移動 ・棒を繰る2 ・棒を繰る2移動 ・突きと受け1 ・突きと受け2 棒を繰る、とか、突きと受け、とか字面ではさっぱりだ。 しかし、詳しく説明的に書くと果たしてわかるか、というとおそらくそうでもない。 要はやればわかる、だ。 やらねば、わからない。 字面で頭でわかったところで、それとできるとは別である。 また、そもそもできなくともよい。 やっていく過程で、体で氣づくことが大切なのだ。 今の世の中では、頭でわかること、知っていることが、さぞかし意味をもっているように位置づけられているように感じるが、私はそのことにさほど価値を置いていない。 時に、棒を操る、にしても、突きと受け、にしても、同じことをするにせよ、その中身に様々な要素があり、レベルがある。 例えば、自分の腕と体の同調、棒(もの)と自分の同調、相手(人)と自分の同調、などだ。 やればわかる、といっても、やってすぐわかることなど、表面的な微々たることだ。 それでも、やらない、と比べると天と地の差である。 更に、やり続けることで、わかってくることがある。 探求し続けることで、人の深みは増していく。 すぐわかること、すぐできることにばかり飛びついている限りは、何をやろうが薄っぺらなままだ。