フリースクール3。
(前回からの続き→)数週前にあった講演から未だに話をひっぱっているが。 講演をされた、東京シューレ学園の学園長、奥地さん曰く。 フリースクールから文科省認可の学校創りへ向かう展開は。 不登校の子の居場所として創ったフリースクールだったが、慣行の学校から弾かれる不登校の子、辛い目にあって訪れる子どもは増えてゆくばかり。 それならいっそ、新しい学校を創ろう、という気持ちがきっかけだった、そうだ。 その気持ちは、他分野でありながらも、おおいにわかる氣がした。 一つには、当庵にも様々なクライアントが訪ねて来られるが、病院や他を受診したが、よくならない、といろいろ経由して来られる方は少なくない。 そういう方は、その経由の過程において、精神的にも、身体的にも、当初の身体の状態にある種のややこしさをプラスしている。 最初からうちに来てくれれば、もっと円滑に経過、解決するのになぁ、と思うこともしばしばである。 簡単な例として、身体的なことで言えば、鎮痛剤など、身体の自然な表現を抑え、鈍らせるものの使用だ。 痛みは身体が治る過程で自ら発しているのだから、抑え込もうとしても、必要で表れる。 無理に抑えていた分、治癒力が高まると、余計に痛むこともある。 それを治らない、と錯覚すると、それだけでややこしい。 精神的なことで言えば、例えば、医師という権威に、「治らない」といった無碍に告げられる心なき言葉。 もはや呪言である。 ふっと潜在意識に入ってしまうと、もはやややこしいなどというものではない。 まさしく、治り難くなる。 よく当たる占い師の例よろしく、占いの言葉、呪いの言葉に添って、行動してしまうのである。 これは、教育の現場においても、同様の場面を目にする。 例えば、「何々しないと、何々になる」といった恐喝まがいの呪言である。 教育の現場、と言っても、学校において私が目にするのは、参観のような短い時間だ。 逆に、短い時間でも目にする、ということは、学校の一日はどうなっているのだろう、と思う。 何を教育するつもりなのか、と。 もちろん、先の呪言は、家庭教育において、親も使いがちだが、それとて、親の親や、学校教育によって受け継がれてきている、まさに教育の賜物である 先に、一つには、と言ったが、もっと広い意味で、ややこしい状況、深い病へ陥ってゆく元凶をたどってゆくと、つまるところ教育にゆきつくのではないか、と私は考えている。 そのことが、私が教育に関心を深め、変えたらいい、フリースクールを創ろうか、などと思案するにつながっているのだが。 自ら溌剌と生きるに必要な、ものを見る目、思考回路の発達がなされない、どころか下手をすると妨げる教育であるならば、やはり変えてゆく必要があるだろう。 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★治る力、即ち生きる力を活かし、育む整体処 明響庵(めいきょうあん)http://meikyoan.jimdo.com/https://ja-jp.facebook.com/meikyoan/https://page.line.me/vtf9624a〒755-0151 宇部市西岐波4604-8営業時間 9~21時(予約制)、不定休ご予約・お問い合わせ0836-39-6275 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 楽しく、自ら整う力を育む整体体操教室毎週火曜日10:30〜12:00@宇部市常盤ふれあいセンター 感覚を磨き、しなやかな身体を培う古武道エクササイズ毎週土曜日13:30〜15:30@宇部市常盤ふれあいセンター お問い合わせ0836-39-6275 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★