カテゴリ:想い出
今から15年前のことをお話します。(チョット長くなるかも)
「好事魔多し」と言いますがこのころの私は仕事も順調、ゴルフも好調といった感じで少し調子に乗っていたのかも知れません。 この年、春頃から風邪気味で体調があまり良いとはいえず、食欲もあまり無く夏頃はそーめんなど麺類ばかり食べてる状態が続いていました。 それでもゴルフは一番面白い(前年には70台も出始めた)頃で頻繁にラウンドし、夏には名古屋でゴルフ合宿をやるために東京、名古屋間をひとり車を飛ばしたり、仕事も出張続きだったりして、結構、体を酷使してました。 ある日、体調がいつにも増して優れず何だかこれは尋常じゃない気がして、近くの病院に行ったところ、即入院となり、何と病室まで車椅子で連れていかれる始末。 「あれ、どうしたんだろ、俺・・」なんだか他人事のような感じだったのですが、ベッドでホッとしたのも束の間、全身を強烈な倦怠感と辛さが襲ってきました。 病名は急性肝炎。検査結果は測定不能・・・劇症肝炎寸前でした。 後で医者が言ったのですが症状からこれはダメだなと思ったそうです。大病院へ転院させることも考えたそうですがここで看取らせてあげようと。冗談でしょ?って感じでした。 原因は非A非B型(A型でもB型でもなく、C型でもない)のウィルス性のもので、疲労などで抵抗力のないところに何らかのウィルスが入り込み、体に無理をさせていたために一気に肝臓がダメージを受けてしまったというものでした。 それからの1ヶ月は地獄の苦しみで、「このままだと死ぬかもな・・」なんて思ったりもしました。 まあ、この辛さを例えると・・って例えることができない程です。 1ヶ月経って危機は脱したものの依然高熱状態で、加えて酷い黄疸が原因で赤血球の数が半分になってしまいフラフラ状態に。こうなりゃ何とでもなれ!って感じでした。 暫くすると熱も37度くらいまで下がり、少しづつ回復に向かっていったのですが、ここからが検査結果の数値とのにらめっこ。高い値は一向に下がらず慢性肝炎へ移行するか直るかの運命の分かれ道で、とにかく週一の検査結果が出ては落ち込む毎日でした。 このイライラしていた頃に考えていたのが仕事の事、友達の事、自分の人生の事、そしてゴルフの事でした。考える時間はイヤになるほどあるので、いろんな事を見つめ直すことができたように思います。 最初はネガティブな事ばかり考えていて、それに比例するかのように数値も悪いままでしたが、ある時から、ふっと「まあ、いいっか!なるようにしかならないしな。後は天に任せよう」と思えてきて、そして「退院できたら、また、あの青空の下でゴルフできたらいいなあ」なんて考えているうちに気持ちが楽になっていきました。 そして入院してから3ヶ月後、急激に数値が下がり始め、その1ヶ月後には退院できるまでに回復していきました。医者がいうには奇跡に近いくらいの回復力なんだそうです。 それから、その後2ヶ月の自宅療養。 医者「まずは軽い運動でリハビリをしましょう。」 shinma「ゴルフなんかはだめですか?」 医者「打ちっ放しくらいならね。但し無理はしないように」 いやー、ものすごーく嬉しかったです。久々の練習場は不安半分、嬉しさ半分でしたがボールを打った時の感激は今でも忘れることができません。 その後は順調に回復し、数ヶ月後には完治のお墨付きをもらうことができました。(正しいスイングは体を健康にする・・ってどなたかが言ってましたが本当ですね。) そして入院中に夢見たコースにも戻ることができたのでした。 ゴルフの腕は入院前がピークで、その後は転職もあり仕事も忙しくなって殆どやらなくなっていきましたが、4年前にmitsuo@t氏とゴルフをする機会があり、それを切っ掛けにまた復活したという次第です。 こんなことから、今でも「ゴルフは私の命の恩人」と思っているという訳なんです。 そのライ、この瞬間、1打1打を大切にしたいです。「一期一会」の気持ちで。 (おーい、もっとまじめにやらなきゃね!>shinma) =============================================== 追記 ちょっとテーマが重いな~。 喉元過ぎればって、今じゃ、結構お気楽ゴルフなんです。 ラウンドは楽しさ第一、スコアは二の次って感じですね。 まあ、こんな今の自分への戒めも含めてということでご勘弁を。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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