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カテゴリ:生活
「俺なんか…」この言葉の語源(あくまで私達の中だけでの使い方であるが)は竹ちゃん先輩と一緒に仕事していた頃、Kという上司がいて、その上司が自身の自慢話をする際に出だしに「俺なんか…」と言ってたので、それから竹ちゃん先輩が私が自慢話でもないんだけど自分の事を話そうとすると「でたっ!俺なんかトークっ!」って言い始めたのがきっかけで自分の話⇒自慢話⇒「俺なんか」トークとなったのである。因みに「おれなんか」の「れ」と「か」を上げるのがポイントである。
先日、「俺なんか」日記の先陣をゆとりをさんが切られ、次にしげ4君がそれに続いた、さあ!その次は「俺なんか教」筆頭家老の私が書かねばなるまいと思い、キーボードを叩き始めた…。 先の2人みたいに「俺なんか」から哲学的にはいかない、あくまで「自慢」で終わるのが「俺なんか」トークである。 数多くある、私の自慢話の中でも代表的なのがやはり2002年1月に今をときめく司会者「みのもんた」とタイマン勝負をした事だろう。 というのは私は2002年1月24日放送のCX系「クイズ$ミリオネア」に出場し、100万円を獲得したことがあるのだ。 あれはその前の年の7月か8月ぐらいだった。妻と何気なく、このテレビを見ながら私はどんどん答えを解いていった。それが結構いいとこまで行ったので単純な私は「これ、俺が出たら1000万獲れるでー!」と言いながら、挑戦者募集のTELに掛けた。するとテープでみのさんの声が流れ、いきなり4択問題が出された、それは日本史の問題であった。幼少時代から日本史の本を読み漁り、高校時代には全国統一模試で何度も満点をとった私である(ここも「俺なんか」だが…)、軽く正解し、1次予選を通過した私はガイダンスに従って、自身の名前・住所・電話番号を録音していった。 それから、時間が経ち、そんなことも忘れていたある夜、私の携帯に妻から連絡が入った。それは番組の制作会社から2次予選の電話で折り返し連絡が欲しいとの事だった。実はこの2次予選はスタッフが1次を通過した人にずっと電話を掛けていき、そこで繋がらなかったらアウトらしいのだが、妻のとっさの機転でこちらから折り返しかける事でOKになったらしい。 そこで折り返し、電話を掛けた私にスタッフは「今から2次予選を始めます」といきなり始まった。2次は電話にて一問一答式で10問問題を出され、そこで私は8問正解だった。するとスタッフが「2次合格です。つきましては最終予選を東京で行いますが来れますか?」と聞かれ、交通費は自腹だったがせっかくのチャンスなので行くことにした。 そして、東京に行くこととなった私であるが飛行機代がかなり掛かるので宿泊は当時東京の三軒茶屋で美容師をしていた妻の妹のアパートに泊めてもらう事にした。そして翌日、地下鉄等を乗り継ぎ、製作会社である日本テレワークのビルがある天王洲アイルに着いた。 そして、全国放送を賭けた最終予選が始まったのだ…。 次回に続く…。(どうしても長くなるので3回に渡って、書こうと思います) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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