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孤独死、無縁死
マスコミで報道される言葉では 身を切るような寂しさではあるが なくなった本人が、死に至るまで どう感じていたかは果たしてわからない。 ベランダで洗濯物を干す際に たまに目が合っていた隣のアパートに住む 初老の男性。 一人暮らしのようだったが、いつも几帳面に 部屋の中のものを干していて、外から見える 飾り窓にもセンスの良いカーテンをつるし オブジェ代わりなのか細工がされた 時計が置かれていた。 言葉を交わしたことはないのだが、 外側から見た彼の印象は「人のよさそうな方」 だった。 そんな彼のことは、まったく忘れてしまい 今年の熱い猛暑から我が身を守ることだけで いっぱいだった。 顔を知ってはいるが、どういう人なのか まったく付き合いなどなかったのだから。 そんなある日、不動産屋さんの車がひっきりなしに 停まり、周辺がざわついてきた。 警察が来てかの人の部屋のベランダから中を覗いている。 一体どうしたのかと思えば、あのおじさんが 亡くなったとのこと。元気そうだったから 自然死とは思えない。自殺なのか。 あまり立ち入ったことは聞けない。 明け放たれた窓から、饐えたむつこい脂っぽい臭い がそこらじゅうを支配している。 その日からやたらに蠅が飛んできて、一体どこから 入ってくるのか我が家の中でわがもの顔に飛び回る。 生きている間、気が弱そうで何も言わず良い人そうだったおじさんが 俺はここでこうやって生きていたんだと強く自己主張 し始めた。 蛆に食い荒らされ、蠅が飛びかい、腐敗した遺体からは 体液が部屋に流れ、悪臭を放つ。 孤独死の実態は寂しさではなく、人間が機械ではなく 有機物であり生身であることの証明だ。 顔だけ知るおじさんの冥福を祈り 庭の片隅に小さな花と線香 をあげた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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