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カテゴリ:随想
久間防衛相「原爆投下、しょうがない」発言のよもやま話。
つらつら書くので、間違っていたら、お咎めください。 下記参照の話自体はそんなに間違っていることを云っているとは思えないのですが、 やはり歳をとるとポカやうっかりが多くなるのか、 本人はニヤニヤしながら会見をしていたので、「口が滑った」 と思っているらしく、辞任したとはいえ、 内心あまり反省はしていない、悪いと思ってはいないように見えます。 戦争は、沖縄をはじめ、基地のある地域、被爆者の方々にとっては、 今もまだ終わっていない。 その人たちの傷に触れ、野党の恰好の餌食となるような発言だった。 言葉尻の、文字通り「揚げ足」をとるような今回の「事件」。 済んでしまったことは「しょうがない」といえば「しょうがない」。 <原爆が落ちなかった現在>など、どこにも存在しないのだから。 戦争が長引いて、ソ連が侵攻してきたら、津軽海峡が38度線やベルリンの壁に なっていたかもしれないのは充分ありえる話だと思う。 北方領土の例をとっても判るとおり、彼らは取った物を返さない。 アメリカが沖縄を返還したようには返してくれない。 戦争にもやはり暗黙のルールというようなものがあるように思う。 民間人を巻き添えにしないことだ。 原爆は無差別に民間人を巻き添えにした。 原爆を投下したことに対して、アメリカは謝罪していない。 歴代の大統領も広島・長崎を訪れてどうこうということも1度もない。 それは戦勝国だからだ。 アメリカの言い分は、「日本も無差別に攻撃しようとしていた。」 「原爆を落とさなかったら、米国の民間人15万人が犠牲になったであろう。」 ということ。 このへんの話は両国間でずっと平行線で終わるのではあるまいか。 戦争を仕掛けたのは日本で、負けたのも日本。 アメリカがずっと核を所有し、日本に未だ基地が置かれ、自衛隊があるのは、 日本が負けたから「しょうがない」ことなのか? それに強く反発しない我々がわるいのか? 割と身近なことでは、おまわりさんだけが何故か拳銃を所持している。 これも「しょうがない。」ことなのかしら? 全体で私たちの社会が結局は仕方のない事として認めてしまっている 結果なのか? 【久間氏の発言要旨】 日本が戦後、ドイツのように東西が壁で仕切られずに済んだのは、ソ連の侵略がなかったからだ。米国は戦争に勝つと分かっていた。ところが日本がなかなかしぶとい。しぶといとソ連も出てくる可能性がある。ソ連とベルリンを分けたみたいになりかねない、ということから、日本が負けると分かっているのに、あえて原爆を広島と長崎に落とした。8月9日に長崎に落とした。長崎に落とせば日本も降参するだろう、そうしたらソ連の参戦を止められるということだった。 幸いに(戦争が)8月15日に終わったから、北海道は占領されずに済んだが、間違えば北海道までソ連に取られてしまう。その当時の日本は取られても何もする方法もないわけですから、私はその点は、原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、という風に思っている。 米国を恨むつもりはないが、勝ち戦ということが分かっていながら、原爆まで使う必要があったのか、という思いは今でもしている。国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうことも選択肢としてはありうるのかな。そういうことも我々は十分、頭に入れながら考えなくてはいけないと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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