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食育に栄養学も食事バランスガイドもいらない

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2008年06月15日
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テーマ:闘病日記(4014)
カテゴリ:難病
「1リットルの涙」はテレビドラマにもなった、映画にもなった。
でもぼくは知りませんでした。
本も家にあるのに読んではいませんでした。

内容は?

以下の通りです。

木藤亜也(きとう あや、1962年7月19日-1988年5月23日)は
中学3年の時、いきなり転んでしまうなどの体の不調を訴え、
光生会病院で受診、その後医師から、手足や言葉の自由を
徐々に奪われながら最後には体の運動機能を全て喪失してしまう
難病「脊髄小脳変性症」と診断される。

脊髄小脳変性症とは、小脳、脳幹、脊髄が徐々に萎縮してしまう
疾患であり、原因は今もなお不明である。箸がうまくもてない、
よく転ぶといった症状から始まり、進行するにつれて
歩けなくなったり、字が書けなくなったりする。
最終的には言葉も話せなくなり、寝たきりになり、
最悪の場合は死に至ることもある。小脳、脳幹、脊髄が萎縮して
いっても大脳は正常に機能するため知能にはまったく障害がない。
つまり、体が不自由になっていくことを自分自身がはっきりと
認識できてしまうのである。その意味でこの病気は非常に残酷な病である。
彼女は、体の自由が利かなくなることと自分の意識が変わることのない
現実の狭間で生き抜いていく。

彼女が闘病中に手が動かなくなるまで書き綴った日記を
まとめた単行本が1986年、名古屋市の出版社から出版された。
愛知県など東海地方を中心に大きな反響を呼び、
2005年2月には幻冬舎が文庫本として出版。2006年現在、
本の発行部数は210万部を突破し、ロングセラーとなる。

1988年5月23日、木藤亜也は脊髄小脳変性症の進行に伴う衰弱と、
それに伴う尿毒症により、25年の短い生涯を閉じた。その後、
亜也の母・木藤潮香が娘との想い出を綴った
単行本「いのちのハードル」が出版された。

【出典】Wikipedia

あ、このブログ記事は木藤亜也さんのことを言及するわけではありません。
木藤さんと同じ病に冒された人のことを紹介したいのです。
その人の名は、森 美智代さん(44歳)です。

森さんは21歳の時にこの「脊髄小脳変性症」にかかりました。
しかし、高校生くらいのときから症状は出ていたそうです。
平衡感覚が弱くて平均台がわたれなかったり、ふらついたり、
片足で立てなかったりとか。

しかし短大卒業後、養護教諭として働き始めて1年後、病状は悪化して
総合病院で診てもらい「脊髄小脳変性症」と診断されました。

この病気は10万人に1人の確率でかかる病気で、当時の厚生省は、
難病の中でも特に重い難病指定としておりました。

森さんを診察した医師の説明を森さんはこう語っています。

神経内科に行ったら、CTスキャンを取る前にその歩き方を見て
先生が「小脳脊髄変性症や」って言って、CTスキャンを取ったら
やっぱりちょっと小脳がちっちゃい。
「これが進むと大体寝たきりになる。脳を増やせる方法はないし、
食い止める方法もないし、どうしてちっちゃくなってるのかも
分からないし、可愛そうなんだけど」って言いました。
「どうしても治んないんですか?」って聞いたら、「方法がない」って。
「あなたのお父さんとお母さんにお話したいんですけれど」って。
私は「父と母は遠くて来れないし、私は保険室の先生だから
何でも言って下さい」って言ったら、「実はね、薬がない、
手術もない、何にもない。5年間か10年間で亡くなる。
それまで一日一日機能が失われていく」
そんな感じの説明だったんです。


森さんは「お先真っ暗」になったそうです。
それは当然でしょう。
(つづく)

【出典】






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最終更新日  2008年06月15日 10時15分22秒
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