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息子を出産して退院の日の写真です。 この日からもう半年たちました。 大変だったなぁ。。。 妊娠27週定期検診日、娘の保育園夏祭り。 検診後、お祭り用の甚平を持って保育園に行く予定でした。 妊娠3ヶ月で子宮内出血、切迫流産と診察されて1ヶ月安静。 その後の経過でお腹の張りがあり、張り止め薬を飲みながらも 何とか落ち着いていたので、今回の検診も大丈夫だと思っていました。 ところが・・・ 「大変です!子宮口が開いていて赤ちゃんの頭がすぐ触れそう なくらいの位置まで下がっています。すぐに入院です。」 と先生が厳しい顔で言うんです。 え?今日は娘の夏祭りが・・・ママいないって泣いちゃうよ・・・ このまま入院って言っても荷物・・・ 会社もまだ産休じゃないし引継ぎもまだ・・・ 娘の夏祭りは、パパが参加してくれました。 あんなにママべったりの娘といきなりお別れで心配でしょうがない。 お腹の息子も1000gに満たない超未熟な状態なのに 産まれたら障害が残るリスクが大きい。 どうしよう、産まれないで!でも娘の世話はどうしよう・・・ どうにもできない。 と、状況を把握できず突如として私は2ヶ月半の入院生活、 パパと娘は二人きりの父子家庭生活が始まりました。 入院中は絶対安静、24時間点滴、お風呂もダメで清拭、 洗髪は介助で週2回 点滴(ウテメリン)の副作用の動悸、熱、食欲不振で 体重が4日で2キロ減りました。 (体重増え気味だったからちょうどよかったです) 安静にしていても回復が見込めず、入院10日目にして NICUがある病院へ母体搬送で転院しました。 転院するとICU病棟へ。 「私ってそんなに重症なんだ・・・」と再認識。 重症な人からナースステーションに近いベットに配置されるのですが、 一番近いベットでした。 転院するとトイレに行くのも歩いちゃダメでさらに重症化。 行きたいときは助産師さんに車椅子で送迎してもらいました。 そして、ICUの面会に入れるのは大人だけ。 娘との面会も退院日まで出来ませんでした。 面会に来る主人が日々やつれていき、 どれだけ大変なのかを物語っていました。 そんな姿を見ると、お腹の息子が大切でも 目の前にいる主人と寂しさをこらえている娘へ 何もできない自分にもどかしさを感じる毎日でした。 入院中は毎朝晩お腹の張りを見るモニターと睨めっこ。 点滴の濃度を濃くして量を増やしても張りが治まらず、 点滴は2種類(ウテメリンとマグセント)、最大量に増えていました。 「赤ちゃんに障害が残る可能性はありますが 破水したら帝王切開ですぐ出産です。」 と言う医師の言葉にハラハラする毎日。 自分の腕がボロボロになっても何とか お腹の中で大きくなってねと願う日々でした。 腕は針穴だらけになり、入院が2ヶ月にもなると血管に 限界がきてしまい、どこに通しても激痛がはしりました。 何とか破水せずに持ちこたえ、妊娠34週を超えました。 34週を超えた時点で、妊娠に伴う血小板減少、 臍の緒が絡まり、心音低下の兆候があり、 35週で退院出来る予定だったのが、急遽中止で要観察。 「このまま妊娠を継続すると血小板がどんどん減少して 大量出血する可能性がありますし、赤ちゃんも心配です」と言われ、 陣痛誘発で出産することに・・・ そして妊娠36週。 予定日よりも約1ヶ月早い9月9日。 2600グラムの息子が誕生しました。 分娩所要時間45分。 さすが切迫早産で入院してただけのことはあります。 あまりのスピードに出産の瞬間に 家族はだれも間に合いませんでした。 無事に元気な息子が産まれるこの日を 家族みんなで待ちわびていました。 まだ3歳になっていなかった娘も 主夫となってくれたパパも お腹の中で2600グラムになるまで成長してくれた息子も み~んな良く頑張りました。 写真は待ちに待った退院日。 娘が初めて息子と対面した笑顔溢れる記念写真です。 娘が「赤ちゃんだっこする」と言い、 ゆりかごの唄を息子に唄ってくれました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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