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(ほぼ習慣)企業人コーチ・湘南太郎。の   「心に灯がともるBlog」

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2005/03/25
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カテゴリ:自己実現
人によって「仕事観」ってマチマチなんですよね?

でも、大別すると、以下の二つに分かれるんじゃないかと思ってます。

A:「仕事」は「人生」そのもの!
B:「仕事」はあくまで「生活手段」!

何れも、ここまで極端な人って、メッタにいないでしょう。
でも、話をより分かり易くするために、両極端に二分したうえで、もう少し詳しく見ていきたいと思います。

********************************************************************************

まず、Aの人。

仕事は人生そのもの。
仕事に生きがいを求め、仕事で実績や成果をあげた時にこそ「生きている」という実感が湧いてくる。
仕事を通じて「自己実現」が達成できると考えている。

従って、「仕事」の中味にも徹底的に拘り、自分の「好きなこと」を仕事にしようとし、携わっている「仕事」にやりがいを感じられなくなってしまうと、生活(人生?)そのものにハリが無くなってしまう。。。

大学生向けの就職指導で名を上げた杉村太郎氏の代表著作「絶対内定」によれば、
「『働くこと』とは、だれかの役に立つことでお金をもらうこと。(中略)『役立っている』という感覚を味わうこと抜きでは、人間はハッピーになれない存在なのだ」
「シゴトはシゴトと割り切って、別なところで夢に向かって頑張ることで、本当に心から楽しいだろうか」(以上、同書より抜粋)。

氏の考え方に象徴されるように、極端に言えば「仕事こそ我が人生」という考え方である。


一方、Bのタイプはどうか。

まさにAの対極にある考え方である。

仕事はあくまで生活手段。
生計を立てるために必要に応じて向き合っているもの。
それそのものに、必ずしも「やりがい」「自分らしさ」が見出せなくても構わない。
仕事で得られた財によって、自分の自由な時間に自分の「好きなコト」「夢」「生きがい」に向き合えればいい。
「自己実現」は仕事とは違うステージにある。


さて、あくまで極端ではあるのだが、この二つを見比べた時にどんなことが言えるだろうか?

言うまでもなく、どちらがいいとか悪いとか理想的だとかということは全くないだろう。
ただ言えるのは、この二つがおそらくは対極にある考え方だろう、ということだ。

一見すると、Aのほうが高度化した考え方のようにも思える。
つまり、「仕事」をただの「生きる術(スベ)」と捉えずに一歩進んで「自己実現」手段、と捉えているように見えるからだ。

しかし、別の角度で見てみるとどうだろう。

Bのタイプというのは、
「仕事」はあくまで「生計の糧」、必要な範囲でやれば良い、必要な蓄財が出来れば、あとは人生のもっと様々な楽しみに使えば良いじゃないか、人生には「仕事」以外にも楽しみや生きがいは山ほどある、
という考え方にも捉えることが出来る。

つまり、今風大橋巨泉(最近ではヒロ・ナカジマ風?)、最近ハヤリの(?)「若年リタイヤ」的な優雅なイマドキライフスタイルにも通ずるところがあるのではないか、ということだ。
確かにここまで行き着けば、それはそれでカッチョイイし、「究極の生き方」のようにも見えてくる。
(ただ、それはあくまで「究極の例」であって、ここではそこまで考えるのは止しておきたい。)


また、もう一つだけ別の角度で見た同様の見方を挙げてみたい。

狩猟や採集に生きた我々の祖先こそ「仕事こそ我が人生」だったのではないか。
つまり、Aタイプこそ極めて原始的な人間の本能的生き方ではないか、ということだ。

我々の祖先は自分や家族のために食料を得ることが「人生そのもの」であった。
また、そこにおいて最高の成果をあげられた時こそ「生きている」という実感を得られたのだろうし、家族や仲間に最大級の謝意を与えられ「生きがい」を感じたのではないか。

こうした「仕事との関わり」というのは、ともすれば知識人に多いと思われがちな(?)Aの考え方そのものではないか、という見方は出来まいか。
突き詰めて考えると、Aの考え方というのは、高度化でも現代風でも何でもなく、極めて人間の本能的ロールプレイ、という気がしてくる。
寧ろ、Bのほうが「超人類的」発想なのではないかと。。。


何れにせよ、「AとBのどちらがどうだ」という議論は、これ以上しても何かが得られるわけでもないし、「どちらにすべし」ということにもなり得ないので、ここら辺で終わりにしておきたい。


ただ、それを踏まえたうえで、最近の傾向について一つだけ私論を述べさせて頂きたい。
あくまで私の印象だが、最近の日本の若い人の間にはBのタイプが増えてきているのではないか?

それでは、端的なBの人というのは、具体的にはどういったライフスタイルなのか?
例えば、こんな感じだろうか。

[自分は無類の洋服好きである。だからと言って、洋服に関連した仕事をしようという意識はない。あくまで趣味として楽しみたいのである。だから短時間でなるべく高収入を得られる仕事で稼ぎ、最低限の生活費以外は全て洋服に注ぎ込みたい」

あるいは、
[私の最大の興味は「家族」である。仕事はつまらないしやりがいも感じられないが、まぁ効率の良い仕事だと思っている。今後も仕事は最低限の時間と労力で済ませ、可能な限り「家族」との時間を多く取りたい]。

ま、あくまで極論であるので、実際にはここまでの方はそういないのかもしれない。
あまり極端に過ぎると、「その日暮らし(from hand to mouth)」的な印象さえ与えかねない。
とは言え、「仕事は生計手段」と割り切っている人というのは、世代の別なく間違いなくいるだろう。

あまりに議論が乱暴過ぎるかもしれないが、「フリーター」だとか「ニート」だとかと呼ばれる人々の増加が、若者の間でBのタイプが増加しているかのように私に印象付けたのだろう。

ここで一つだけ心配なのが、「一生Bのタイプで生きていけるならそれもいいだろう、しかしずっとそれでいられるか?」ということだ。
「仕事」というのは、健常である限り、多かれ少なかれ人生においてずっと向き合っていかなければならないものである。
(しかも、もしかしたら「仕事こそ我が人生」という生き方は、何万年も前から人間が受け継いできたDNAに刻まれた、極めて「人間的生き方」なのかもしれないのである!)
一方で、仕事以外の「生きがい」は、長い人生において時には消え失せてしまうこともあるだろう。
仕事においても「自己実現」できるに越したことはないようにも思える。


「ニート」や「フリーター」と呼ばれる人達が、この先の人生において、「自分探し」「生きがい探し」に向き合うことが来るのだろうか?
それとも、その時々で自分が「ワクワク」出来ることに思いっきり向き合う生き方がずっと続いていくのだろうか?

やや抽象的になってしまったが、
「仕事」に自分の「好きなコト」「生きがい」を求める生き方、
と、
「仕事」とは別のところで輝いていればいいという生き方(という考え方があるとすれば)、
のどちらを我々は志向していくのだろうか。
これは、一人一人の「人生観」そのものといっても良いだろう。


次回は、自分自身の考え方についてあらためて見詰め直してみたい。



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Last updated  2005/03/28 10:36:20 PM
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