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テーマ:仕事しごとシゴト(23727)
カテゴリ:太陽の塔のつぶやき
「企業の社会的責任」という言いまわしは、抽象的で怪しく無責任な印象を受ける。
それもそのはず、企業の存在意義は営利活動にあるからだ。所属する会社員が給料を得て人として健康で文化的な社会生活を営むために企業は儲けなければならない。 だから、企業は社員に対して充分な給料を支払う責任がある。もちろん、自分の給料の額だけしか関心が無いような社員に対しては責任は無い。正規非正規を問わず。 社員にまともな給料が払えない企業は存在意義が無く倒産して然るべき。 しかし、社会的責任は無い。つまり、失業者に対しては企業に責任は無く、行政にあると思う。 「企業の社会的責任」という言葉は、行政が責任を放棄し企業に押し付けるために都合がいい。 政治家は、社員に利益を還元しない企業を何らかの立法でコントロール責任があるだろうし、企業の経営においては、利己的な社員を見抜き解雇するくらいの厳しさが必要である。 また、そういった解雇の正当性を擁護するような法律も必要だろう。 今は解雇をタブーとする風潮が強いが、倒産や失業はある程度あったほうがいい。さもないと、やる気の無い労働者や無能な経営者がのさばり、存在意義の無い企業が淘汰される機会が失われるばかりでなく、血税を浪費してまでわざわざ擁護するはめになろう。そのような社会に希望は無い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年02月08日 00時43分10秒
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