6人集団自殺か
6人集団自殺か(読売)*(産経)*(朝日)*(共同) このニュースで思い起こすのは宗教団体の集団自殺。 日本人は無宗教というけれど、本当に無宗教だろうか。 ごみかきも時々「死にたい」と思うことはある。ただ、それはいつも一過性で、いつもこう思って立ち直る。 「人生は苦しくて当たり前。自分は苦しむために生まれてきた」と・・・ つまり、人生そのものが「刑務所」なのだと思っている。 自分の過去に対しては何かと罪を意識する。だから償いたいと思うのかもしれない。 人生を苦しみ抜くことで償われると信じている。 そう思うと不思議なもので楽になるのだ。 そういう意味でもし逆に人生を「楽しいことが当たり前」と思うなら、命がいつくあっても足りなりなくなるのではないだろうか。警察官が自分の指紋で証拠捏造 これは極めて重大な捜査妨害だと思う。 実際に多数の事件がこの警察官の指紋による同一犯と見られていたようだ。 捏造というと以前に考古学上の発掘作業の捏造が明るみにでて衝撃的だった。 どちらも非常に利己的な動機であることにかわりはないと思う。中国で「こっくりさん」による殺人 「こっくりさん」はごみかきも小中学生の頃によくした記憶がある。 非常に怖かった。 中国ではお国柄思想的な自由が制限されていると思うが、「こっくりさん」のような遊びはある意味宗教的で、若い人達がそういったことに対する欲求不満なのではないだろうか。 何かを信じるというのは人間が本来持っている欲求で、それを抑圧すると精神的な歪みがでるのではないだろうか。 宗教でなくても個々が信じていることは何かしらあると思う。それを尊重することが憲法で定められている信教の自由ということだろう。 日本人は戦後、国家神道に対する罪悪感から宗教や特定の思想に拒絶反応やトラウマがあり、無宗教であることが正義というような感覚に陥っていないだろうか。そのことと憲法で定められた権利の間で迷いが生じているのではないか。おもしろかったら投票よろしくあなたも登録してみよう