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国際法、文化人類学、開発経済学、農業開発論、国際金融。 大学のときに勉強(?)した学問です。 もちろん卒業後は学んだ学問を生かすような職業に就けるわけがなく、 当時コンピューターオンチだった僕はなぜか IT 系の仕事に就いたのですが、、、 つい先日小さな IT 系の展示会があり、他の会社のブースで僕の会社が販売している 製品を出展してくれるとのことで、製品の設置に行き、その次の日に展示会の見学に行ってきました。 会場では、なぜかアルコール飲料が無料で配られており、 もちろん僕は上司と一緒に何の躊躇もなくすぐに飲んで、 気持ちよくなって会場をふらふらしてました。 ふらふら見学をしていると、ふと、とあるブースの前で一人の説明員らしき男と目が合いました。 無線 LAN IP 電話のブースです。 「むむむっ、どこかで見たことが。」 よく見ると、説明員は同じ大学、同じ学部の同級生でした。 しかし、学生生活のころは一言話したかどうか、それさえも覚えていないくらいの微妙な関係だったため、 恐る恐る、 「あのー、もしかして、僕の記憶が正しければ、N 君だよね?」 と聞きました。 すると、幸いなことに彼も僕の顔を覚えてくれていました。 幸か不幸か N 君も IT系。 よく言ったものですが、広いようで狭い世の中と思いながら、 卒業して 2年、立派な営業マンに成長した N 君の無線 LAN IP 電話の説明を聞いていました。 以前もこんなことがありました。新宿でコートを買った店の店員と話しをしていると、 店員「お客様はどちらの出身ですか?」 僕「埼玉です。」 店員「奇遇ですね、僕もです。出身の高校はどちらですか?」 僕「H 高校です。」 店員「えー、僕も H 高校ですよ! 御年おいくつですか?」 程なく、同じ高校の同級生ということがわかるのですが、世間は狭いと思いました。 しかし、この一連の体験から、このような偶然を、果たして「世間は狭い」という言葉で片付けてしまっていいのかと考えるようになりました。 以前に会った人とまた偶然出くわすのは、かなり確立の低いことだと思います。 そこで、一連の体験の原因を「縁」により発生するものだという考え方にしました。 僕は「縁」を信じます。 人間どんなに細長く生きても、たかだか 100 歳くらいが限度ってもんです。 そんな短い人生で出会った人には何らかの「縁」があるのです。 言い換えれば、出会った「意味」があるのだと思います。 そう考えると全ての物事が「自然」なんです。 と、いうわけで、そんな貴重な出会いや「縁」に感謝するべく、 「縁感謝キャンペーン 2005」と題し、「縁」に感謝する意味をこめて、 「縁」あって出会った人には、一杯おごることにしました。 少々感謝の仕方を間違っている気がしますが。 キャンペーン対象になる人ですが、以前にどこかで僕と会っているが面識が薄く、 連絡先も知らないのに、1年後以降にばったりどこかで会ってしまった人です。 もちろん、その人が僕の顔を覚えていてくれたらですが。 有言実行ということで、早速、展示場であった N 君に友達経由で連絡して、 おごる約束を取り付けました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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