アイヌ神謡集
今日は、休み。買い出し2回出まして、まあ、ほかはボケボケと。図書館本岩波文庫版 知里幸惠さん「アイヌ神謡集」読み終わりました。左ページにアイヌ語、右ページに日本語という構成。語学音痴なので(汗)左ページはほとんど読めずもっぱら右ページの日本語訳を読んでいた感じですが、かわいいフレーズの繰り返しがあると思ったら結構長い詩文のあとにすこんと語り手が死んでしまうみたいな感じ^^;その語り手も、動物神だったりして、「気が付いたら耳の間に座っていた」というような感じなんですよね。幸惠さん曰くアイヌの世界では、「鳥でもけものでも山にいる時は、人間の目には見えないが、各々に人間の様な家があって、みんな人間と同じ姿で暮していて、人間の村へ出て来る時は冑を着けて出て来るのだと言います。そして鳥やけものの屍体は冑で本体は目には見えないけれども、屍体の耳と耳の間にいるのだと言います」ということなんだそうです。「シロカニペ ランラン ピシカン コンカニペ ランラン ピシカン(銀の滴降る降るまわりに 金の滴降る降るまわりに)」は「梟の神が自ら歌った謡」で「トワトワト」は「狐が自ら歌った謡」狐が「パーウパウ」と鳴くのがなんかカワイイ^^蛙の鳴き声は「トーロロ ハンロク ハンロク」巻末に、幸惠さんの弟の真志保さんの文章も載っていてアイヌ文学として普通に言われているものは物語文学で、韻文と散文に分けられる。韻文の方は、「神のユーカラ(神謡)」と「人間のユーカラ(英雄詞曲)」に分けられ、「神のユーカラ」は更に「狭い意味の神のユーカラ(カムイユカル)」と「オイナ」に分けられる。散文の方は、人間の酋長による「昔話」で、「ウェペケル」や「ヅイタク」などと言われているもの。「神謡」をもう少し深掘りすると、<カムイユカル>は「動物神、植物神、物神、自然神が出てきてそれぞれ自分の体験を語る」という形式をとる物語。<オイナ>は「人間の始祖とされている文化神(オイナカムイ)が主人公として現れ、自分の体験を語る」形式をとるもので、オイナカムイは地方によってアイヌラックル、オキクルミ、サマイクルなどと呼ばれている。「人間のユーカラ」は人間の英雄を主人公とした戦争と恋愛の長大な叙事歌謡。てなことを学んだり(いつまで覚えてるかは不明)【中古】 アイヌ神謡集 岩波文庫/知里幸恵(訳者)「『アイヌ神謡集』を読む」というのもまあ、なんとか読み終わったことにしました^^;というのは、「アイヌ神謡集」を題材に、アイヌ語の単語や文法の解説本だったので、語学音痴に少々敷居の高い本だったからです><アイヌ語を学ぶ折に、辞書的に使うのがいいのかも。あと、幸惠さんはアイヌ語を直訳していたのではなくて、日本語の詩として構築しなおしていたことも知りました。例えば、「tapan pon ay/ek sir konna/tonnatara」「小さい矢は美しく飛んで私の方へ来ました(幸惠訳)」はアイヌ語直訳だと「この小さい矢が飛んでくるようすはピカーッ」なんだそうです。(最後の“tonnatara”が「ピカーッ」に当たる)コラムとして幸惠さんの手紙や金田一京助氏の手記も掲載されていて、幸惠さんが僧帽弁狭窄症の診断を受けていて東京の金田一宅から北海道へ帰郷する直前にして、神謡集のタイプ打ちされた原稿の構成を終えた直後、その心臓の発作によりたおれ、金田一氏が手を握ると「うす赤いシャボン水のような泡をとめどもなく吐いて」亡くなったこと、金田一氏が「私の落ち度」だったと書いていたことがなんだか印象に残りました。岩波文庫版を補訂した仲川裕さんによると幸惠さんは1903年生まれということで、「アイヌ語の母語話者としては最後の背代くらい」だそうで、つくづく惜しい人材だったんだなと思ったり・・・。そんな感じで。【中古】 『アイヌ神謡集』を読む / 知里 幸恵, 北道 邦彦 / 北海道出版企画センター [単行本]【宅配便出荷】