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こうこの手紙

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2024年06月13日
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球磨之介は告げるのでした。

「とうちゃん。孫が終点の逗子駅に行きたいと云っているぞ」

「ふむ。逗子は横浜市民としては馴染みがあるのである」

ということで待ち合わせをして横須賀線に乗るのでした。



この日も人身事故がありダイアは大乱れに混乱しておりまして、

車内は非常な混雑をしているのでした。そうして孫が

「混んでいて嫌だから降りる」と云い出したのでした。

丁度お昼時だったので昼食をとろうと駅を出ると



白くて大きなものが見えるのでした。祥之介は

「あの白いものを探検に行ってみないかね?」と云うと

「賛成、行ってみたい」というのでその方向に向かうのでした。



その場所は大船観音というそうでかなり有名なところのようです。

一同は拝観料を払って中にすすむのでした。



もとは観音経をもとにしたもので

日中戦で亡くなった敵兵も平等に慰霊するべく建設がすすめられたようです。

あまり知った人はいないんですが頭山満さんなどが名を連ねているようです。



工事が始まってすぐに世界恐慌、日中戦の泥沼化、続く対米英戦、敗戦となり

計画は頓挫しておりましたが、戦後十年くらいして悪名高い五島慶太などの尽力で

やっと昭和も三十五年になって完成を見るのでした。



祥之介は云うのでした。

「はっちゃん。行き先を決めずぶらりと出かけるのもいいものであるな。

ハッチが『ここで降りる』と云わなければこの素敵な場所に来ることはなかったのである」

これも神様の思し召しであろうかと思うのでした。



本来は立像になるはずだったようですが、

地形と地質がそぐわなかったようで座像に変更、

それも叶わず独特の観音像になったようです。



戦没者とともに原爆犠牲者の供養塔などもあります。

この観音像は海外にもファンが多いようです。



観音様の中に入れるので探索に行ってみるのでした。

やはり海外の人、東南アジアの人も多かったです。



千個並んでいるそうです。



ここは座禅を組んだりするお堂のようです。



祥之介は記念に今年小学校一年生になったはっちゃんに

「はっちゃん、ランドセルにこれをつけておくといいよ」

と云って交通安全のお守りを渡すのでした。

これでブレーキとアクセルを間違えて踏んだ車がきても

孫だけはよけていくと安易に思うのでした。



そんなに広くはない境内を散策して

昼食を一緒に食べる、じいさんとむすめとまごといぬなのでした。

文章が遅くなってすいませんでした。






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最終更新日  2024年08月07日 06時07分37秒
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