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この日記に色々と自分の考えている事を書いているのだけれど、
どうやら50名ぐらいの方が定期的に見に来てくれているようだ(嬉) 昨日、尊敬している知り合いの社長が 「ブログに日記を始めました。窪山君知ってるよね」という話をされ、あのF社長が始められた事に驚きと喜びを感じた。 (話は変わって) 昨日勉強させていただいた事にこういうことが書いてあった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 『論語』に「道に聴いて塗に説くは、徳をこれ棄つるなり」とあります。 これは、道で人からよい話を開いて、それをすぐほかの人に説明するのは、自分の徳を捨てているようなものだ、という意味です。つまり、よいことを聞いても、心にとどめてそれを実行しなかったならば、自分の身につかないということです。 私たちは、道徳などの何かよい話を聞くと、すぐ自分が実行したかのように他人に説いて聞かせようとしがちです。しかし、自分が実行しないことを他人にいくら説いても、それは徒労に終わります。ただ知的にその原理を知るとか、他人に説明するとかというのでなく、これを聞くと同時に、たとえわずかでもみずから実行することが大切です。 単に自分の知識を示したいとか、先輩や同僚あるいは聴講者に気に入られたい、ほめられたいなどというような心づかいで話をすることは、道徳的に見れば効果が乏しいといえます。 また、個人的に相談を受けた場合でも、相手の感情に引き込まれていたずらに同情したり、相手の行為が自分の感情や利害に反するためにこれを諭すというような心づかいで助言や指導をすることは、同様に良い結果をもたらしません。なぜなら、そのような講話や指導は知的、感情的なものにすぎず、その動機、目的が利己心にもとづいているからです。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ついつい、このような「誰も知らない場所」でさえ本当の自分の足取り、「あゆみ」を書き込めていない自分がいることに気がつく。(反省)人間の「自分をよく見せたい」という欲望が、こんな場所でも頭をもたげる。 何かの会があり、人にその説明をしようとしたとき、人はその会がどのような会であるかという事を「その人」を通して見る。とどのつまりは「恥ずかしながら自分自身を見てください。私がこの会の代表です」ということではないか。会社も同じ事だろう。 「その会社」「その組織」「そのサークル」が何をやっているか、ではなく、自分自身がどのような人間であるのか、と言う事が結果問われるのだ。 そんなつまらないこの「場所」にも、時折でも遊びに来て、読んで言葉を残してくれる方々がいる。その事に気づくと、ふと心が温かくなる。本当に感謝したいと思います。ありがとうございます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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