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宮崎に住む友人の家が、水害で全滅した。
一気に水位の増してくる泥水に、彼は家族と一緒に屋根の上に登り、必死で自分の着ている白シャツを振り回し、自衛隊に救出されたのである。 自然災害というものは、本当に恐ろしいもので、本当に全てを奪ってしまう。僕らは仲間うちで義援金を募り、彼に渡した。彼は「本当にありがとうございます」と心から感謝していた。 僕は、以前のある事を思い出していた。 それは2004年の台風23号、淡路島での水害の時の事である。 2004年。台風23号は、兵庫県を中心に、凄まじい被害の爪痕を残した。 毎日のようにテレビでは、屋根の上まで水が浸水した家屋の映像が流れていた。我々の企業でもそうだが、多くのスーパーなどからも義援の商品(水・毛布・食品)などがおくられた。 ある所で宿泊のセミナーがあった時のこと。 京都に住む私の尊敬する先生の一人が言った。 「兵庫の惨状は、テレビで見るようなものじゃない!もっと凄まじい。こういう時こそ何とか、皆が力になれないものだろうか、何とかならんのか!」 その言葉を聞いた時、「本当に力になりたい」と思った。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 話は変わるが、僕はボランティアと言うものがあまり好きではなかった。世にボランティアをする人達は大勢いるが、その中には、「同情心」や「優越感」でしている人が多く、その態度からは「してあげているのよ」というような態度言動が伺える人がいるからである。 要はそのような人は、自分自身の優越感の自己満足の為にボランティアをしているのである。 しかし、今思えば、自分自身の心にこそそのような心があったのかもしれない。人を見て嫌だなぁと思う時には往々にしてそれが自分自身にあったりする。僕自身の心の中にある、「同情心」や「優越感」に嫌悪感を感じていたからこそ、僕はボランティアと言うものがそのように見えていたのかもしれない。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 水害ボランティアで大切な事は、 「即、動くこと!」である。 全国でボランティアをして人の為に役に立ちたい!という方がいらっしゃれば、この話をよく聞いておいて下さい(というより「読んで下さい」だった) 京都の先生の言葉を聞いて、何とかしたいと思った僕は、福岡に戻り何人かの友人にその話をした。お金ではなく、自分の足でその事を体験し、何かを感じ取りたいと言う気持ちがあった。 我慢できなかったので、社長に「兵庫の水害のボランティアに行きたいのです。一週間休みを下さい」とお願いすると、社長は暫く考えて、「窪山君、そんな事は自分だけで行かず、何人か連れて行きなさい。素晴らしい体験と勉強になるだろう」と言ってくれた。 色々と声をかけたが、最終的に4人で行く事となった。 ボランティアに行く自分達がボランティアしてもらう事になってはいけないので、知り合いから四駆を借り、それにテントなどを積んで「野宿」するつもりで出発した。 福岡を出発して、兵庫に向かう予定だったが、兵庫の方は水害の被害もずいぶんと沈静化したということで、僕らは、淡路島へ回る事となった。淡路島の洲本町に到着したのは夕方の8時くらいであたりはすでに暗くなっていた。 何も勝手がわからなかった僕らは、とりあえず災害ボランティアセンターへ行った。災害ボランティアセンターと言うのは、民間のボランティアの団体の方々が、「災害情報の収集」の中心にする為に簡易的に建てたり借りたりしている情報センターのようなものである。 僕が驚いたのは、災害のボランティアだから、てっきり行政が動いて取り仕切っているものと思っていたのだが、じつは、行政は金を出すだけ(実際は管理するだけ、口を出すだけ)で、何もしないのである。民間のボランティア団体の方々が、この日も夜遅くまでミーティングをしていた。 ミーティングをしていた皆さんは、夜遅くにごそごそとやって来た「九州人」に親切にしてくれた。今日泊まる所がないという僕らの話を聞いて、 「千福寺と言うお寺があって、そこの住職に頼んでみましょう。もしかしたら泊めてくれるかもしれませんよ」 願いがかなって、僕らはボランティア初日を野宿せずにすんだのである。 このあと衝撃の体験をする事になった。 続きは(その2)に書きたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 22, 2005 08:12:51 AM
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