|
カテゴリ:カテゴリ未分類
最初の夜をお寺で過ごす事になったのだが、そこには僕らだけでなく、同泊者がいた。彼の名は庄島君といい、21歳であるという。
僕らが驚かされたのは、彼はその時、新潟の震災からそのまま淡路島に来たと言うのだ。新潟の大震災に駆けつけたが、まだボランティアの入れる状態ではない、と言う事でわずかな手伝いのみであったので、新潟の方で数日ボランティアをした後、移動中のバスの中で兵庫の話を聞き、夜行バスでそのまま来たと言うのである。彼が持参しているのは、簡易テントと寝袋、懐中電灯に炊飯セットなどの簡単なもののみであった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 翌日ボランティアセンターに行くと、近畿中部地方を中心に多くの方々がボランティアに来ていた。(その日は約800人)御高齢の方もこられており、「こんな方も来ているのだなぁ」と思い、話しかけてみると、その方は次のように言った。 「私はね、神戸から来ているんですよ。以前の阪神淡路大震災のとき、私もボランティアの方々に助けてもらった。本当にありがたかったのです。だからこんな私なのですが、私も力になりたいのです」 と仰られたのには感動した。「私も助けていただいたのです。今度は私が助ける番なのです」その年配の方は、長靴をはき、タオルを巻いて明るく笑っていた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 僕らが最初に伺った御宅は、岡本さんのお宅であった。岡本さんの御宅に行くと奥さんが出てこられた。御主人は単身赴任で、息子は地元を離れている。今ではおじいちゃんと二人で住んでいるため、途方に暮れていた。 水害というのは一見、外見上は全く被害を受けていないように見えるが、一階がすべて水没し、水が引いた後に、床下に大量の粘土状の汚泥を蓄積してしまう。この粘土状の泥が強烈なニオイとカビを発生させ、そのままにしておくと結局人が住めない状態になってしまうのである。 作業は、床下に入り込んで行なう。バールで床板をはずし、わずか数十センチの隙間での作業である。汚泥と一口に言うが、はっきり言えば、大小便も含まれているのである。くみ取り式の便所であれば、水が氾濫した際に一緒に「し尿」も地表に出てくるのである。 床下での作業は、全身「その泥」まみれになる。腹ばいになり、「手の甲」に汚泥をのせ(床下の高さが低いため、腹ばいになっての作業しかできない)それをひも付きのちりとりに載せて、合図と共に引っ張ってもらいながら交互に作業をしていくのである。 上の写真はフラッシュ撮影したものであるが、実際の床下は、したの写真のような感じである。 床下作業は午前中から始めて、午後5時ごろまでかかったが、何とか床下の汚泥をすべて取り除く事ができ、消毒まですることができた。男4人が総がかりで作業をして、やっと一軒の家の床下作業が終わるのである。どれだけの時間がかかるか計り知れなかった。 しかし、作業が終わったあと、岡本さんの奥さんが涙を流して喜んでくれたのにはこちらが感動した。 「九州から来ていただいて、見ず知らずの私たちにこんなにして下さって、本当に、本当にありがとうございます」 おじいちゃんとも握手をし、僕らは最初のボランティア体験が、非常に喜びに満ちたものになったことに感動したのであった。 しかし、この後、僕らは「ボランティアの現状と真実」に直面して、どこに向けようもない憤りと怒りを感じる事になるのであった。 (その3へ続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|