|
テーマ:暮らしを楽しむ(388385)
カテゴリ:自然
「お金」に対する考え方を大きく変えてから、
私の中で次々とパラダイムシフトが起きている。 "人としての全体性”を取り戻すために、 出来る限り農的生活に近づきたいと思っていたんだけど、 それが、ちょっと変わってきているのだ。 ジャン・ジャック・ルソーの「自然に帰れ」じゃないけど その思いは、機械化された土地や人の痛みを感じ、 どこか現代に対する怒りや悲しみの入り交じるものだった。 もちろん、"ホール"としての自分を感じた喜びがあり、 自分にとって農的生活の気持ちよさがあり、 それを持続させたいというポジティブな発想だし、 人に押しつける気はサラサラないのだけど、 この物質社会にYESを言っていたかというと、、、 答えは、NO。 だけど、考えてみれば、物質的に豊かなことは、 何も悪い事じゃないんだ。 第三世界や弱者から搾取してきた豊かさ、 自分じゃない誰かになるため、虚像を創りあげる豊かさ 自然環境を破壊し、超スピードで生き苦しい豊かさ。 なんか、現代の豊かさに、そんなものを見ていたなぁ。 いや~、偏ってるね(笑) 確かに、多くの場面で、物質的豊かさが暴走し、 貧困と抑圧と破壊を生みだしているのは、 なんとかせんといけん。 だけど、それは、それを扱う人たちの心が創りあげている。 そこが変わらないで、物だけ減ったって、 飢餓による恐怖心から、争いがますます加速していくかもしんない。 人並みに良心がある私だって(笑)お金ないときはある人を羨むし、 お腹減ったときは人より沢山食べたくなっちゃう。 暮らしや気持ちに余裕が無いときは、人に優しくも出来ない。 そんなもんでしょ。 つまりね、意識ひとつの問題なんだってこと。 物に罪はない。 これだけ快適な世の中を創り出した 技術よ、 叡智よ、 ビバ!! これを賢く活用する高い意識を持って、 現代のこの豊かさを、思いっきり味わいたい。 だって、このパートだって、"人間としての全体性"の かけがえのない一部に違いないんだもん。 第三世界に行ったり、ネイティブの人たちと暮らしてみて、 沢山の学びと気づきをもらい、素敵な生き方と共感しても、 「ここが自分の生きる場所」と思えなかったのは、 これが理由だったのかもしれない。 きっと、誰しも生まれたときから 用意された人生の場所があるんだと思う。 私の場所は、土に近く、自然を愛し、恵みをいただき、 でも便利さ快適さも楽しみ、 世の中に質の高い、心を満たす、美しい豊かさを送り出す、 そんな場所なのかも知れない。 人生、生きる幅が拡がった。 感謝。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[自然] カテゴリの最新記事
|