マイケル・エングラー「ダウントン・アビー」パルシネマno26
マイケル・エングラー「ダウントン・アビー」パルシネマ 映画.com コロナ騒ぎの渦中、2020年7月のパルシネマの二本立の一本でした。ぼくが知らないだけで、イギリスとかアメリカで放映されている、人気のテレビドラマの映画版で、その方面がお好きな方には有名過ぎる作品だったようです。見たのはマイケル・エングラー監督の「ダウントン・アビー」です。 「ダウントン・アビー」というのは、ヨークシャーという羊とか豚とかで、(犬もいましたか)でしか知らないイングランドの農業地帯にあるカントリー・ハウスの名前なのですね。 「田舎貴族」という言い方がありますが、地方領主ですね。王から爵位をもらって、その土地の領主としてそこに屋敷を構えて暮らしている人たちです。その屋敷のことをカントリー・ハウスと呼ぶようです。 だから、その地域に暮らす人たちには領主であり、領主の屋敷の人たちも偉いわけですが、国全体には王国のヒエラルキーがあるわけですから、カントリー・ハウスに暮らす領主やその一族、使用人たちは、ただの「田舎者」とその家来なわけです。 映画は田園地帯のカントリー・ハウスを俯瞰的に映し出すところから始まります。イギリス映画の特徴なのかどうか、こういうシーンで始まるパターンが多いように感じますが、ぼくは好きです。今回はとくに広壮な建物と緑の芝生の丘が続く自然の風景が印象的です。 王宮から投函された手紙が、郵便自動車で運ばれ、蒸気機関車に引かれた郵便列車で仕分けされ、オートバイに乗った郵便配達員によってダウントン・アビーに届けられます。 実は、この投函された一通の手紙の旅路をカメラが追っていく、その、何の解説もない映像が作り出していく世界に、徐々に浸っていく快感で、ぼくはすっかり満足してしまいました。 おそらく二十世紀初頭の英国です。第一次世界大戦のあとくらいでしょうか。別に、その時代をよく知っているというわけではありません。言葉もファッションもわかりません。 しかし「映画の世界」の「空気」の作り方というのでしょうか、最近の日本の映画やテレビドラマが、杜撰極まりないと感じる「あれ」です。 それに、ナショナルシアター・ライブのような「舞台」では作り出せない、映画ならではの「存在感」、いや、「吸引力」のようなものを見事に映し出しているのです。 物語は、いたってシンプルです。国王夫妻の接待をめぐって「王の家来」と、若い女性当主代理に率いられた「田舎貴族の使用人」との戦いをコメディタッチで描きながら、カントリー・ハウスの相続をめぐって、王妃の随行員である老婦人の口から明かされる若き日の不倫のドラマ、新たな相続権の持ち主である不倫の結果の娘とアイルランド出身の青年とのドライな恋を重ねていきます。 古い時代の空気を堪能させながら、新しい時代の風が「ダウントン・アビー」に吹き込んでいることを鮮やかに描いて幕を閉じる。まあ、見事なものです。 映画.com ぼくにとっては、ここの所、少しづつ顔見知り(?)になりつつある、上の写真のイメルダ・スタウントンやマギー・スミスという贔屓の老女優たちが、このうえなく渋い演技とセリフ回しで映画を引き立てているのも魅力でした。 ゆったりと浸れる、満足できる映画でした。 監督 マイケル・エングラー 製作 ギャレス・ニーム ジュリアン・フェロウズ リズ・トラブリッジ 製作総指揮 ナイジェル・マーチャント ブライアン・パーシバル 原作 ジュリアン・フェロウズ 脚本 ジュリアン・フェロウズ 撮影 ベン・スミサード 美術 ドナル・ウッズ 衣装 アナ・メアリー・スコット・ロビンズ 編集 マーク・デイ 音楽 ジョン・ラン キャスト ヒュー・ボネビル(ロバート・クローリー:グランサム伯爵) ジム・カーター(カーソン) ミシェル・ドッカリー(レディ・メアリー・タルボット) エリザベス・マクガバン(コーラ・クローリー:グランサム伯爵夫人) マギー・スミス(バイオレット・クローリー:先代グランサム伯爵未亡人) イメルダ・スタウントン(モード・バグショー) ペネロープ・ウィルトン(イザベル・マートン)2019年122分・イギリス・アメリカ合作 原題「Downton Abbey」2020・07・24 パルシネマno26ボタン押してね!