キム・ギドク「人間の時間」元町映画館no50
キム・ギドク「人間の時間」元町映画館 この日、見たのは、キム・ギドク監督の「人間の時間」でした。この映画の監督は「嘆きのピエタ」、「メビウス」などで知られる韓国の鬼才! なのだそうですが、映画から遠ざかっていたぼくはもちろん知りません。 とはいうもの、ご覧の通りチラシには「鬼才」とあるのですから、ただ事ではありません。今日はこの後もう一人の鬼才(?)、クリストファー・ノーランのIMAX初体験をもくろんでいましたので、とりあえず「鬼才」慣れ! のために朝一番の元町映画館にやって来ました。「あっ、おはようございます。今日はお早いですね。」「うん、昼から万博公園やねん。」「万博でなんかあるんですか?」「ダンケルクや。4Dなら、すぐそこのハット神戸でやってんねんけど、ピーチ姫に椅子揺れて落ち着かんで、オトー、グターと座って見たいんやろ。ならやめた方がええわ。いわれてん。」「で、万博のIMAXですか?」「そうそう、その前に肩慣らしやねん。鬼才て書いてるし。まあ、ノックアウトとされることはないやろ。」「うーん、されちゃうかも、ですね。」「エエー、それどういうこと?」「まあ、そのあたりは本編ご覧になって、どうぞ、ごゆっくりお確かめください。」 というわけで、映画が始まりました。老朽艦丸出しの軍艦に乗ってクルーズという、まあ、意味不明の始まりです。 藤井美菜とオダギリジョーが日本語をしゃべっている新婚カップルを演じているのですが、残りの乗客はクルーズを楽しむという取り合わせではありません。 何しろ大統領の椅子を狙う政治家親子が唯一の「セレブ」で、あとはヤクザ、売春婦、詐欺師、金には縁のなさそうな若者や夫婦ものなのですから。 まあ、そこで起こるハチャメチャが、監督によれば「人間」の実相だったのでしょうね。正義感の塊であるオダギリ君はあっという間に抹殺されて、映画から退場しますが、この「日本人」カップルに限らず、どなたも無茶苦茶「へたくそ」なところがこの映画の特徴の一つ目でした。 どのへんが、チラシで謳っているハード・ファンタジーなのかよくわかりませんでしたが、この味わいの映画をある時期よく見ていたような気がします。 70年代後半の日活ロマンポルノとかで、だったでしょうか。人間を「性欲」と「食欲」の欲望機械のように単純化しているからでしょうか、ざらざらした埃っぽい味わいです。 当時の日本映画にもその傾向はありましたが、その埃っぽい味わいの中に現代「韓国社会」の空気感が強く漂っているのが二つ目の特徴だと思いました。空中に浮かぶ軍艦の上で繰り広げられる「世界」の終わりと始まりという設定に「社会」を描きたい監督に意図が表れていると思いました。 軍事政権の誰かに似ている国会議員、チンピラヤクザ、議員の息子の三人に次々と暴力的に犯される日本人女性の姿を見て、頭にくる「日本人」もいらっしゃるのかもしれないなあ、これって何を象徴しているのかなあ、などとのんびりしたことを考えながら見ていると、被害者の女性が加害者のチンピラに対して「悪魔!」と叫ぶシーンに出くわしてポカンとしてしまいました。 筋運びの「ご都合」であったとして、こういう仕打ちを受けた女性のセリフとして、いかにも陳腐、少なくとも日本語の語感では出てこない「悪魔」が出てきたことに意表を突かれたのですが、女性の役名がイヴだったことを思い出して笑ってしまいました。 要するに、映画が描いているのは「創世記」だったということなのですが、最後にもう一度笑わせて画面は暗くなりました。 デタラメで陳腐な展開としか言いようのない映画でしたが、人間社会を殺伐とした欲望の連鎖としてとらえようとする、こういう味わいの映画が、実はさほど嫌いではありません。なんとなく、こういうふうに撮りたいという監督の気分は、わかるような気がするからです。 まあ、それにしても、これで「鬼才」は大げさなのではないかいな!? と笑いながら思いました。もちろん、ノック・アウトされることもありませんでした。 監督 キム・ギドク 製作 キム・ドンフ 製作総指揮 キム・ギドク 脚本 キム・ギドク 音楽 パク・イニョン キャスト 藤井美菜(イヴ) チャン・グンソク(アダム) アン・ソンギ(謎の老人) イ・ソンジュ(アダムの父親) リュ・スンボム(ギャングのボス) ソン・ギユン(船長) オダギリジョー(イヴの恋人) 2018年・122分・R18+・韓国 原題「Human, Space, Time and Human」 2020・08・05元町映画館no50ボタン押してね!にほんブログ村