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カテゴリ:週刊マンガ便「コミック」
此元和津也 「セトウツミ 全8巻」 (秋田書店)
同居人のチッチキ夫人が布団に入って機嫌よくマンガを読んでいる。枕元に、マンガが数冊積まれていて、ちょっと手に取ってみる。 「あかんよ、ちょっと。読みかけてるとこやからね。」 「ああ。第一巻は?」 「あっちにある思うけど、見つからへんねんか。」 「二巻から読んでんの?オモロイ?」 ‥‥‥・ 「セトウツミってどういういみ?」 「瀬戸くんと内海くん。ちょっとお、声かけんといてよ。」 というわけで、こっちの部屋であれこれ積み上げてある下の方から「セトウツミ」(秋田書店)第一巻、発見。 「たいへんやなぁ まだ高二やのに」 はまりました! しゃべくり漫才のボケとツッコミを連想する人もいるでしょう。その通りなのですが、「ちょっとちがう」というのが第一印象でしたが、最後までちょっと違いました。 作者は、何がちょっと違うのかという謎を、最後には解いてマンガを完結させますが、この結末に、ぼくは、すこし納得のいかないものを感じました。 府立高校の二年生二人が、ほぼ、一年間、大阪の街の中の川べりの公園の石段に座って、ひたすら、時間つぶしのおしゃべりをしている姿を描いた漫画です。ひたすら、おしゃべりを続けながら何かを待っている有名な演劇がありますが、ウラディミールとエストラゴンがこんなところにいるじゃないかというのが、オモロイと思った理由でした。 漫才の掛け合いは、まあ、ちょっときいたふうな言い方をすれば、ボケもツッコミも自分に疑いを持たない個人だと思うのです。だから、「アホやなあ」という観ている人の安心した笑いが成り立つのだと思います。 でもこの二人は、そういう安心させる自己肯定感でしゃべっているわけではありません。理由は、二人が高校生だからだとボクは思います。 そこに座って居ることの落ち着かなさ、不安といってもいいかもしれませんが、ゴドーを待っていた二人とよく似たところに座っているというのがボクの見立てでした。 「そうそう、そこで、どこにも行きつきようがないおしゃべりを続けてくれ!」 残念ながら作者は、現代の高校生らしいリアリティーを描くことで、マンガを終わらせました。それはそれで、胸を打つものがありました。 「ウツミ」くんのスマホの、LINEの画面の「メガネの絵文字キャラ」が最後に「セト」くんが撮った「シャメの顔写真」に変わって「寝ろや笑2:36」で、スマホ画面が終わって、写真の中のノラ猫「ニダイメ」が振り向いて、エンド。 サイコーなんです。けどね。 「第一巻あったで、読む?」 「エー、もう、読んだん?ずるーっ!」 「へへへへ、いちにちおヒマやからなア。」 「はいはい。」 本日も、平和な我が家の結末でした。 (S) 追記 ボタン押してね! ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.02.27 09:24:49
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