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カテゴリ:演劇「ナショナルシアターライブ」でお昼寝
ピーター・シェーファー 「アマデウス」 神戸アートヴィレッジセンター
神戸アートビレッジセンターで、日本人には映画で有名な「アマデウス」の劇場版ライブを観ました。 ミロシュ・フォアマン監督が映画版でアカデミー賞を取ったのは1984年でした。ぼくにはどちらかというと「カッコーの巣の上で One Flew Over the Cuckoos Nest 」の監督なのでしたが、「アマデウス」にも、感心した覚えが、かすかにあります。 今回の舞台では悪人サリエリをルシアン・ムサマティというチラシの写真に写っている黒人の俳優が演じていて、これが、実に、すばらしかった。 「サリエリを演じる私の肌の色を気にするのは、あなたの偏見だ。」 ライブ盤のインタビューでの、彼の発言ですが、舞台を観終えて心から納得しました。 彼こそが、神聖ローマ帝国、ヨーゼフ2世の宮廷で、イタリア人宮廷音楽長として、ほしいままに、そあいて、こずるく権力をふるい、古典派音楽の育ての親という名声を生きた男に間違いありませんでした。 神が宿っているとしか考えられないモーツアルトの天才と遭遇しながら、悪魔のような対決を挑み、モーツアルトを破滅に追いやった男であり、モーツアルトには及びもつかぬ自らの音楽的凡才と、内実のない名声だけの凡庸な宮廷楽師の人生に絶望し、「モーツアルトに毒をもったのはあのサリエリだ」と自ら、ウィーンの町にうわさを流しながら、あくまでも人の注視を欲望しながら狂死する男、アントニオ・サリエリその人でした。 俳優が、舞台上で演じられる人物へ変身してゆく。これは、演劇や映画においては普通のできごとですが、やがて、劇中の人物が俳優に憑りつき、俳優が消えてゆく。そんな舞台というものがここにあったということかもしれません。 音楽も素晴らしい。様々なアレンジが、そうか、モーツアルトだと思いださせながら、もう一度舞台を彩ってゆきます。演奏者たちは、音楽を演奏しながら、芝居を演じているのです。 スゴイ! 昔、「上海バンスキング」というお芝居で、ジャズの演奏家と俳優が音楽と演劇のセッションのような舞台を繰り広げたことを思い出しましたが、「アマデウス」はクラッシック音楽です。演奏者たちの曲芸まがいのからだの使い方と、音の出し方が、天才をまき散らすモーツアルトのイメージを掻き立てるように舞台が進行するのです。 その舞台を、今や怪人と化したサリエリが黄金の衣装でさまよいながら、狂っていきます。喉掻き切って倒れたのを見てほっとしたのもつかの間でした。もう一度起き上がって、たくらみの成就を確信しながら、不敵にもこううそぶくのです。 「モーツアルトに毒をもったのはこのサリエリだ」 ウィーンの街にうわさが広がっていく中、舞台は幕を閉じます。 普通の顔に戻った俳優たちのカーテンコールを観ながら、ため息が出ました。字幕でセリフを追うような見方しかできない芝居で、今までになかった体験でした。唸って、座り込まされている自分が驚きでした。 「世界は広い。」 つくづくそう思いました。 アートビレッジを南に下がっていくと阪神高速の高架があります。高架の下の歩道を歩きながら、誰もいないのをいいことに鳥刺しパパゲーノのテーマ(?)を口笛で吹きながら、新長田まで歩きました。 「ぱぱぱぱ、ぱぱ、ぱぱぱぱ」 見る人が見たらヤバいですね。神戸なんて狭いもんなのです。しかし、何とはなしに気分がよくて、うきうきしてある行きました。 別に、このお芝居でパパゲーノの「パパパパ」が出てきたわけじゃないので、あしからず。あっ、パパゲーノは「魔笛」の鳥刺し、こんな絵になってますね。 「魔笛」はこれですね。まあ、誰でも知ってるか? 原題「Amadeus」「アマデウス」 3時間15分(休憩20分含む) 上演劇場 ナショナル・シアター オリヴィエ劇場 作: ピーター・シェーファー 演出: マイケル・ロングハースト 出演: サリエリ:ルシアン・ムサマティ モーツアルト:アダム・ギレン 2018-10-09・神戸アートヴィレッジセンター 追記2023・02・19 明日、久しぶりにナショナルシアターを見に行きます。演目は「かもめ」です。で、この記事を思い出して修繕しました。 追記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.10.11 12:45:40
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