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カテゴリ:週刊マンガ便「コミック」
〈教室のマンガ ー「ドラゴン・ボール」から「黄色い本」まで〉 今となっては昔の話ですが、教室で流行っていたマンガの話です。教員になった30年以上も昔、教室で流行っていたのはたいていスポーツ根性漫画でした。
鳥山明「ドラゴンボール」 最後は「地球のみんなヨー、オラに力をわけくれ」と泣かして、元気ダマです。でも、まあ、そこまでいくのに「一体何回死んだら気がすむねんな、悟空よ!」って言ってしまいそうですが、やめられません。 武論尊「北斗の拳」 授業で指名しても答えられない生徒に「おまえはもう死んでいる!」を連発してたら「面白くない!」と飽きられてしまったので、今度は居眠りしている人をさして「あいつはもう死んでいる。」と言っていると「しつこい!」とばかにされてぼくのブームは終わりました。 今時、高校でこういうセリフを口にすると、即刻退職ということになるのかもしれないですね。 そのころの野球部員に必読だったのが千葉あきお「キャプテン」・「プレーボール」でした。 部室には必ず転がっていましたね。とことん努力するキャラクターが、練習とか試合で、あんまり必死にならないうえに、あんまり強くない高校球児に受けていまた。でも、作者が疲れて自殺してしまったんですよね。努力して頑張り続けるって、大変なんだと思いました。でも、少年たちには谷口君の姿が「夢」だったんですよね。 足立充「タッチ」 まぁ「タッチ」はスポーツものとはちょっと違うかもしれませんね。このマンガの登場は野球漫画の空気を変えました。それまで、一生懸命動きを描いていた漫画家たちをバカにするように、絵が止まっていました。女の子が読む野球漫画の始まりなんでしょうか。ぼくはテレビのアニメの主題歌を聞くと、いまでも、ちょっと泣けるんですよね。 90年代に入って忘れられないのがこのマンガです 井上雄彦「スラムダンク」 「バカボンド」を書いて超人気漫画家になってしまったけれど、やっぱり桜木花道が忘れられません。だってボールが手を離れてからリングを通過するまで何ページかかったことか。週刊誌を読んでいる人は一週間待ったはずですよ。 一度だけバスケットボール部の顧問をしたことがあります。実際の試合を観戦する機会があって、このマンガのコマ割が案外リアルなことに感心してしまいました。マンガだけで「スラムダンク」ファンをしている皆さんは一度試合を見てみたらいいとおもいます。きっとマンガ独特のリアリズムを再発見すると思います。 館長をしていた最後の高校の図書館でも、無断持ち出しが、後を絶たなかったマンガです。。 「センセー、バスケがしたいんです、だろ。泣いたかね。」 だまって持ち出した生徒の返却の挨拶は素直だったですね。まあ、納得がいったんでしょうね。 スポ根じゃあないのですが、尾田栄一郎「ワンピース」とか佐藤秀峰「ブラックジャックによろしく」とかが2000年代のハヤリでした。ぼくは読んでいません。そうです、このあたりから読んでいないんですね。 「ブラックジャックによろしく」は大学の医学部の書店でよく売れたそうです。お医者さんになる勉強をしている学生さんが読むマンガだったんですね。 あのころ高校ではマンガを没収して威張っていた同僚がいました。今でもいるかも?大学ではどうなんでしょう。マンガもれっきとした文化だと思っていたボクは読みたければ読めばいいと思っていたけれども、授業中は止めたほうがいいかもしれない。 たとえばぼくが教壇にいるような高校の授業が、はまってしまったマンガの面白さに勝てるわけがないですね。だから、見つけた教員は、当然、逆上する事になるわけです。ぼくは、どっちかというと、哀しかったですね。そういえば、没収したマンガ雑誌を職員室の机に積み上げて、勝ち誇っていた先生たちは、マンガに勝てない自分の授業のことはどう思っていらっしゃったのでしょうね。今思えば、やっぱり少し哀しい。 ところで、ここまでお付き合いいただいた、みなさん、高野文子という漫画家をご存じでしょうか。 「絶対安全剃刀」(白泉社)が有名だったと思うのですが、本当は有名ではなかったかもしれません。きっとご存じない方が多いのでしょうね。時間が永遠に止まっているようなマンガを書く人で、「ああこんなマンガもありなんだ。」という感じの人で、好きだったんですね、ぼくは。やたら繰り返しのスポ根マンガとはすこし違う種類ですね。 まあ、薀蓄はともかく、その漫画家が「黄色い本」(講談社)というマンガを2000年代の始めころに描きました。装丁も黄色い本でした。 なんとなく注文してやってきた本を手にとると「ジャック・チボーという名の友人」と副題が付けられていました。で。ぼくは「ありゃりゃ」と驚いてしまいました。 「そうかこのマンガはあの黄色い本をネタにしているんだ。」 「あの黄色い本」というのは高校二年生だったぼくが人生の最初に出会った革命家ジャック・チボーを描いた、あの小説のことです。 ロジェ・マルタン・デユ・ガールというフランスのノーベル賞作家がジャックの一族をえがいた小説「チボー家の人々」(白水社)こそ、黄色い装丁の箱入りの本で全5巻ですね。 箱に入っているのにペーパーバックふうのラフな綴じ方がしてあっって、フランスの本みたいで、当時のぼくにはちょっと大事な黄色い本でした。大げさかな? 高野文子のマンガ「黄色い本」の主人公の女子高生は教室の真中でこの本を開いて読んでいます。ぼくは隠れて読んでいました。やがて紡績工場に就職する彼女がジャックに恋をしてしまうように、ぼくも本気でジャックに憧れていました。最近の小学生や中学生が、うーん、高校生にもいるかもしれないが、ハリー・ポッターなんて名前の魔法使いの少年を好きになってしまうのと似たようなことだったかもしれません?!いやいや、てれくさいけど、もっと大変だったかもしれませんね。はははは。なんのこっちゃ。 高野文子のこの漫画はぼくの高校時代とほとんど同じ時代、同じような生活を描いていて、「チボー家のジャック」に憧れていく主人公の様子がぼくにはよくわかると思いました。 「黄色い本」は主人公が読みつづけていた本を図書館に返す所で終わります。それは彼女の人生の時(二度と来ないある時間)の終焉として描かれているわけですね。 へんてこなマンガだけれど、一度、本屋か図書館の棚から、ちょっと手に取って、ページを開いてもらえたら、初めてなのに懐かしい空気が漂ってくるかもしれません。でも、もう、そういう所にはないかもしれませんね。 ついでに「チボー家の人々」は、今では白水社のUブックシリーズで全13巻だと思います。これを読み終えるのは大変かもしれませんね。本当は、二十才の頃までに出会わないとカンドーしないのかもしれない本のような気もします。 ところで、ぼくの「チボー家の人々(全5巻)」は、二十才の大学生の下宿にやって来た一人の女性とともに本棚から消えてしまい、その後には宮沢賢治「銀河鉄道の夜」(岩波書店)一冊が残されていたというミステリアスな結末を迎えました。ダハハハ。 この事件は、宮沢賢治嫌悪症とでもいう形で、あの詩人の作品に対する態度として残りました。あれから四十年経つというのに、宮沢賢治の作品には読みづらさと、素直になれないというというこだわりを捨てきれないシマクマ君です。 フン!「銀河鉄道」のどこが面白いんだ!(S) 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね! ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.03.27 23:41:20
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