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吉田秋生「海街diary1~8」小学館
我が家では吉田秋生については、うかつなことは書けません。読みたければ、いつでも読めるのですが、「ちょっと、それ、ページをぎゅーって開かんといてくれる。」とか言われちゃうので、読むのも、少々気を遣います。とはいいながら、映画「海街diary」を観て、ここは、どうしてもという気分で、原作の「海街diary1~8」(小学館)をトイレなんかに持ち込まずに読み終えました。 吉田秋生のマンガの特徴について、一般論というか、マンガとしてどうなのかというようなことは、ここでは、あまり言う気はありません。 一つだけいえば、クローズアップの描線の鋭さ、それと、おそらくセットになっている登場人物の表情の厳しさに特徴があると思います。その結果、傑作「バナナフィッシュ」なんて、登場人物が、男なのか女なのかよくわからないノンセクシャルな表情をしていて、漫画家のきつい性分のようなものを感じさせるのです。ぼくには、それが彼女のマンガの魅力なのですが、まあ、印象は人それぞれだろうと思います。 ともあれ、読後の印象は映画を観た感想とは全く違っていました。映画は過ぎ去った時間や家族の死からの再生の物語、新しい出発のための助走の姿を映していたと思うのですが、映画全体に、なんとなくの「暗さ」が漂っているように感じたのですが、原作のマンガの中で、娘たちは過去の時間に憑りつかれたりしていないと感じました。 父親や家族、知り合いの死や、娘たちだけで暮らす古い民家のたたずまいや、歴史に彩られた鎌倉の街の風景は、確かに、彼女たちの「生きている世界」を取り巻いていますし、物語の主人公にふさわしい、独特な背景、あるいは舞台を作り出してもいます。しかし、それが過去を強調的にクローズアップして、登場人物たちを縛り付けるような印象は全くありません。 原作マンガの中では、登場人物たちは、実に、生き生きと生きているのです。 たとえば、第8巻の表紙絵の階段を駆け上っていく四女スズの後ろに広がるのは、父が捨てた街の風景ではなく、彼女が生きている、その街の上にひろがっている今日の青空なのです。 ぼくが最も印象深く読んだ、第5巻「群青」にあるシーンですが、海猫食堂のおばさんの死に際して、四女スズのダイアリーであるのだろうモノローグが、こんなふうに四角囲みで書き込まれています。 入院して 猫亭の福田さん 海猫食堂の 神様は気まぐれで でも 晴れた日は それだけは 海街の日々を生きる人々の上には、晴れた日の青い空が広がっています。時間は、さまざまな可能性をはぐくんで、過去から未来に向けてゆったりと流れています。四姉妹と彼女たちを取り巻く人々の生活や人柄は、重なり合う時間の厚みが丁寧に書き込まれて、明るく深いのです。コミカルなギャグと繊細な描画の組み合わせが、物語の展開を支えていて、読者にゆっくり読むことを促しているように思えます。 いまさらいうまでもないことですが、傑作でした。(S) 追記2019・11・23 映画「海街ダイアリィ」の感想はこちらをクリックしてください。 ボタン押してね! ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.22 23:06:11
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