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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2019.04.16
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​​​​​​大村はま「教えるということ」(ちくま学芸文庫)

​​​ ぼくたちの世代、要するに昭和の終わりかけに国語の教員になったくらいの人たちにとって、「つづり方教育」国分一太郎「山びこ学校」無着成恭らと並んで「国語の教員像」の理想として、戦前から戦後を通じての実践者として輝いていた人たちですが、高度経済成長の時代が思い出になる中で「これでおしまい」とでもいうように忘れられていった教員の一人が大村はまという人だと思います。​​​​​​
 残念ながら、ぼく自身は教員生活を終えて初めてその文章に接するといった具合で、これから教員になろうかという人たちに対してこれはいいよとばかりに推薦する資格はかけらもない。
 ​​まあ、そういうわけなのだけれど、毎週出会う大学生の皆さんが、教員になりたいと思っていらっしゃる、どんな本をお読みになればいいだろうというのが最近の僕の選書の基準の一つになっているわけで、それで手に取ったのが、大村はま「教えるということ」(ちくま学芸文庫)​でした。​
​​ 2002年99歳で亡くなっているひとだけれど、筑摩書房の学芸文庫の編集部は「教室を生き生きと」とか「日本の教師に伝えたいこと」という彼女が残した文章を、次々と、新たに文庫化しています。
 ぼくは「教えるということ」以外はパラパラとしか読んでいませんが、現在の現場、まあ、学校ですが、のことを考えると再刊して読んでほしいと考える編集者や教育学者、教員がいることに「そりゃあそうだろう」と肯くものがあります。​

 ぼくにしてからが、高校生で教育学部を目指すような人たちのために図書館の書架にそろえて、借りてくれる生徒を、いや、教員も、かも、を、心待ちにしていたのですから。
 みなさんはまだしばらくしかお勤めになっていないから、そういうことをお思いにならないでしょう。私は中学校にいてじっと子どもを見ていますと、非常にすぐれたほれぼれするような力を持った子がいます。私はときどき子どもといっしょにいながら、「同じ年だったら、この人に友だちになってもらえるかしら」と思うことがあります。
 たぶんなってもらえないと思うのです。彼はあまりに優秀で、非常なひらめきを持っていて、私なんかほんとうにこの人の友だちになれないといったような、してもらえないというような気がしてきて、心から敬意を表してやまないことがあります。
​ 教師はやはり子どもを尊敬することが大切です。さしあたり年齢が小さくて、先に生まれた私が「先生」になりましたが、子どもの方が私より劣っているなんていうことはないのです。劣ってなんかいないので、年齢が小さいだけなのです。子どもたちを大切にするということはそういうことを考えることです。​​
 ​「教えること」という本に収められている、同じ題の講演の一節です。短い引用ですが、ここに大村はまという、その時代に生涯教員であり続けた女性の「性根」のようなものを、ぼくは感じました。​
​ それは、「おっしゃっていることはよくわかりますが、少し離れたところで聞いていないと、ちょっと暑苦しいんですが」とでもいう感じ。おそらく、語りかたと時代の空気に、その秘密があるのだと思います。​
​  この案内が、ノリノリの気分ではないのは、そこが理由です。しかし、論旨は正しい。ぼくにとっては、長くつとめた仕事について、強制的に反省を促すようなところがあって、面倒くさいのですが、今から、この仕事をやる人は、何年もの経験の中で、きっと「あの人があんなことを言ってたよな」というふうに思いだすに違いない言葉が、これらの本にはあると思います。​​​
 「卒業生がいつでも先生、先生と慕ってくれるのが、なによりもうれしい。」とか、「そういうとき、先生ほど楽しい職業はないと思う。」とかいうことばを聞くことがあります。​​​
 わたしが受け持った卒業生は、「先生のことを忘れない」と言ったこともないし、また、私も忘れてほしいと思っています。わたしは渡し守のようなものだから、向こう岸へ渡ったら、さっさと歩いて行ってほしいと思います。後ろを向いて「先生、先生」と泣く子は困るのです。
​  「どうか、自分の道を、先へ向かってどんどん歩いて行ってほしい。私はまたもとの岸へもどって、他のお客さんを乗せて出発しますから」。卒業した生徒が何か自分で言ってこない限りは、私はあとを追いません。​​
​​​​​ ねっ、ムキになって言いつのっているところが、やっぱり暑苦しいのですが、職業としての教員の肝というか覚悟というかが宣言されていて爽快です。おそらく、多くの卒業生や教え子たちが彼女のことを「忘れられない」と思ったに違いないし、「何か言ってきた」に違いないのですが、仕事を支える梃子を、そこに求めることをきっぱりと拒否する態度は、ちょっとかっこいいと思いませんか。 ​​​
​​ 偶然、教室で出会い、​「教える」​ということのその場限りの可能性に真摯に向かい合おうとしたに違いない、教員、大村はまの面目躍如というべき言葉だとぼくは思いました。(S) 2018/06/05​​
追記2019・04・16
 その後、知人から「大村はまさんの『優劣のかなたに』という詩がいいですね。」という言葉をいただいた。彼女も長く教職にある人だ。    
 『優劣のかなたに』 大村 はま
  
         優か 劣か
         そんなことが 話題になる,
         そんなすきまのない
         つきつめた。

         持てるものを
         持たせられたものを
         出し切り,
         生かし切っている
         そんな姿こそ。

         優か劣か,
         自分はいわゆるできる子なのか
         できない子なのか,
         そんなことを
         教師も子どもも
         しばし忘れている。

         思うすきまもなく
         学びひたり
         教えひたっている,
         そんな世界を
         見つめてきた。

         一心に 学びひたり
         教えひたる,
         それは 優劣のかなた。

         ほんとうに 持っているものを生かし,
         授かっているものに目覚め,
         打ち込んで学ぶ。

         優劣を論じあい
         気にしあう世界ではない,
         優劣を忘れて
         持っているものを出し切っている。

         できるできないを
         気にしすぎていて,
         持っているものが
         出し切れていないのではないか。

         授かっているものが
         生かし切れていないのではないか。
         成績をつけなければ,
         合格者をきめなければ,
         それはそれだけの世界。

         それがのり越えられず,
         教師も子どもも
         優劣のなかで
         あえいでいる。

         学びひたり
         教えひたろう
​         優劣のかなたで。​

​​
 同僚だった彼女たちの心をどのくらい推し量れていたのか。そんな僕が言うのも不遜ですが、こんな詩をつぶやきながら仕事をしている教員が、まだ、教室にいることへの期待が僕にはあります。
​追記2019・11・10
 職場での「優劣」をいちばん気に病んでいるのは、教員だったりすることがあります。子供は道具でしかない。職員会議や、校内でデモクラシーをつぶし続けてきた教育行政は、教員同士のいじめの責任をどう取るつもりでしょうね。ポジションごとの権力主義の横行が、教員のいじめ事件の、一つの、大きな原因であることは、明らかだと思うのですが。
 教員は意見の言えない「学校」でなにをしてしまうのか、よく考えたがいいと思いますね。意見の言えない教員は、今、意見の言えない子供を育てているのではないでしょうか。​                                    追記2022・05・03
 今年も、国語の教員を目指している人たちと出会っています。「役に立つ知識」を、いかにわかりやすく伝達するか、という効率至上主義の教育方法によって10年以上育てられてきた人たちを前にして、すぐには役に立たないし、ひょっとしたら永遠に役に立たないかもしれない、「本を読んで考えこむ」ことや、自分もよく「わからないこと」を教室で生徒に向かって伝えることの大切さとかについて語り掛けるのは、ちょっと勇気がいります。
 それでも、ボタンを押したら答えがわかることしか問えなくなっている社会に「なんか、変だな」と感じる教員になってほしいと、わけのわからないことを繰り返し問いかけている日々です。
 たとえば、世界のどこかで戦争がはじまったのを見て「戦争放棄」を謳った、世界でたった一つの憲法を変えなければと宣伝するやり方は「なんか、変だな」と思いませんか?

 「なんか、変だな」と感じる力は「役に立つ知識」から生まれるわけではなくて、「わからないこと」を考える態度のようなものが育てるんじゃないでしょうか。学生時代に「わからないこと」をたくさん見つけてほしい一心の日々ですが、ボタン世代は「わからないこと」に拘泥するのはお嫌いなようです。トホホ・・・ですね(笑)。

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最終更新日  2024.01.11 23:11:28
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