|
カテゴリ:読書案内「日本語・教育」
小山鉄郎「漢字は楽しい」(新潮文庫・共同通信社)
山本史也「神さまがくれた漢字たち」(理論社:よりみちパンセ) 白川静という、とんでもない学者さんに、そうとは気づかないで初めて出会ったのは、もちろん本の中で、高橋和巳という中国文学者で作家の「わが解体」という、1970年ごろの、ある傾向の学生の必読書の中でした。 その中に、1960年代の終盤、大学紛争(?)、闘争(?)で騒然たる、立命館大学の校舎の中に、灯の消えない研究室が一つだけあって、 「S先生の、その研究室には過激派(?)の学生たちも畏敬の念で接していた。」 という内容の記述がありました。その部屋が白川静研究室だったのです。 1980年代の後半「字統」「字訓」「字通」という、文字通り字書である辞書が、世に問われる15年ほど前のエピソードですが、あれが、この白川静のことだったと気づくのは辞書が評判になって、実際に手に取った2000年を超えてからのことでした。 その白川静さんもなくなって、10年以上の年月が経ちます。 ここのところの元号騒ぎで、この人が生きていたらなんというのか、気になったので、「令」という文字について、「字統」を探してみると、ありました。 「令」について許慎(「説文解字」という後漢の字書の著者)は「?(しゅう)」と「卩(せつ)」とから成るものと分析し、その「?(しゅう)」は、「集める」の意味をもち、「卩(せつ)」は、「節」の意味をもち、それで、人を集め、竹の節でこしらえた「竹符」を与えて命令するのである、と述べますが、迂曲にすぎる説です。 これを読めば、話題の二文字の漢字の連なりの意味は、まあ、こだわらずに素直にとれば、神さんの声を聞いて仲良くしましょう、くらいの意味になりそうですが、いかがでしょう。 皆様も、一度、「字統」ぐらいをお引きになれば、もっとよくわかりますが。 さて、そろそろ本題ですが、「漢字は楽しい」(新潮文庫)を書いた小山鉄郎さんは「これが日本語」でも案内した方です。 今はどうなのか知りませんが、共同通信の文化部の記者で、村上春樹や吉本隆明に関する著書もある人です。特に吉本には私淑した人らしく、新聞のコラムを本にした「文学はおいしい」(作品社)なんて本は、吉本隆明のお嬢さんで、マンガ家のハルノ宵子さんに挿絵を描いてもらっているだけでなく、吉本の著作からの引用もちょこちょこ目に付くところが面白い本です。 白川静に関していえば、小山さんは、最晩年の弟子ともいうべき人かもしれません。師匠が亡くなった後、小山さんがこういう本を作って、遺髪を継いでいらっしゃる。「はやり便乗の金儲けかよ」、そんなふうに思っていたこともありましたが、じつは、大切なお仕事をなさっていると、今では思います。 もう一人の山本史也という人は、高校の教員をしていた人らしいですが、立命館大学が作った文字文化研究所で教えを受けて、そこでのお仕事として「神さまがくれた漢字たち」(よりみちパンセ・理論社)を書かれたようです。白川静という巨大な存在のエキスとでもいう部分について、10代の少年や少女たち楽しく解説されている本のつくり方には好感を持ちました。 この二冊の本には、最初から読み続けて、結果、読書したという読み方は似合わないかもしれません。気になったら取り出して、気ままに読むのが良いかもしれませんね。トイレとかに常備して、いつの間にか読む、そんな感じがいいと思います。 小学生の子供たちに、「漢字の成り立ち」劇かなんかやってもらって、右手にお椀、左手に呪具かなんか持って、首を抱えて土饅頭の上にのせて、 「さあ、いくつ漢字が出てきたでしょう?」 とかやったら、面白いだろうなあ。そういうふうに、漢字を理解していく子供を育てる世の中になればいいのになあ。そういう気持ちが作らせた本だと思います。 みんな機械が覚えてくれてる世の中を生きていく子供たちが、だからこそ、成り立ちの姿くらい、面白がらせてあげないと、かわいそうじゃないか。ぼくはそう思います。 そうそう、大人の人たちでも、たとえば中島敦の「文字禍」とか、円城塔の「文字渦」なんていう小説を読む前に、読んでおくのもいいかもしれません。円城さんが描く意味とはまた違った意味で、漢字は生き物かもしれませんよ。 ともあれ、「白川漢字学」と小学生とか中学生の頃に出会い、 「口(さい)」 を知っている高校生が教室に座っているなんて、教員には夢のような話ですね。 漢字嫌いの学生さんも、子供向けにとらわれず手に取ってほしいと思います。 ボタン押してね! ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.16 22:35:04
コメント(0) | コメントを書く
[読書案内「日本語・教育」] カテゴリの最新記事
|