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石塚真一「BLUE GIANT全10巻」(小学館)
「ヤサイクン」の運んできた断捨離「段ボール」のなかにあった、全十巻の単行本マンガ「BLUE GIANT」(小学館)の第1巻の表紙です。 「この人知らんな。」 読んで驚きました。不思議なことに、とにかく涙が出て止まらないのです。音楽の話だから?少年の成長物語だから?そうかもしれない。 もっとも、「ヤサイクン」が持ってくるマンガの大半はいわゆるビルドゥングス・ロマンだから、はまると涙の素のようなところがありますが、どれを読んでも泣きっぱなしかというと、必ずしもそうともいえません。 老化のせいか。ここのところ、すぐに感極まる傾向があることは、たしかだから、そのせいかもしれません。念のために、ネットで検索してみると、若い読者も泣いてるようなのですね(笑)。 うーん、若者でも、老人でも泣けるマンガか。 15歳の少年がジャズという音楽の中に「ほんとうのこと」があることに、偶然、気づきます。彼はそれを手に入れるために、来る日も来る日も楽器を吹きつづけるのです。 彼が信じた「ほんとうのこと」は、社会が少年たちに求めていることと、微妙に違うことであるようです。家族も、先生も、友達も、彼が求めている「ほんとうのこと」を理解できているわけではありません。少年は、一人で旅立っていくのですが、「ほんとうのこと」がどこにあるのかは知らないままです。でも、彼は旅立つのです。 マンガを読みながら、唐突に、こんな言葉を思い出しました。 ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ おうこの夕ぐれ時の街の風景は 無数の休暇でたてこんでいる 街は喧噪と無関心によってぼくの友である 苦悩の広場はぼくがひとりで地ならしをして ちょうどぼくがはいるにふさわしいビルディングを建てよう 詩人の吉本隆明の「転移のための10篇」という詩集の中にある「廃人の歌」の一節です。まあ、このマンガの主人公宮本大君が故郷を出発した年齢とちょうど同じだったころ、繰り返し繰り返し口にした詩の一節です。 ガンバレ宮本大! 2018年7月 追記2019年5月 主人公宮本大はいやおうなく「大人」になり、ヨーロッパのステージで「ほんとうの音楽」を追いつづけています。しかし、第二部を構成するプロットの特徴は、夢を追うヒーローとしての主人公を群像化しているところです。それが第一部との大きな違いではないでしょうか。彼自身が率いている「NUMBER FIVE」というカルテットのメンバー一人、一人が入念に描かれているのです。当然、読者は「マンガ」を複雑で読みにくい印象でとらえることになるのでしょうが、世界に出て行った主人公のリアリティーは、これでないと維持できないことがよくわかります。「世界で通用する音」を求めることは、「世界」においては当たり前なのでしょうね。 むしろ、作家、石塚真一こそが、正念場に差し掛かっているというのがぼくの、率直な印象です。「この国」ではない「全世界」をどう描くのか。たとえ、それがマンガであったとしてもです。ぼくは、そこに強くひきつけられて読み続けています。もちろん、石塚君の健闘を祈りながらです。 追記2020・03・03 「BLUE GIANT SUPREME 第8巻」・「第10巻」感想は、それぞれ書名をクリックしてください。どうぞよろしく。追記2023・02・27 アニメ映画化された「BLUE GIANT」を観てきました。傑作だと思いました。 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.02.28 00:27:04
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