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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2019.05.11
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​​三浦雅士 「漱石 母に愛されなかった子」(岩波新書)​​​​
 先生は「おい静」といつでも襖の方を振り向いた。その呼びかたが私には優しく聞こえた。返事をして出て来る奥さんの様子も甚だ素直であった。ときたまご馳走になって、奥さんが席へ現われる場合などには、この関係が一層明らかに二人の間に描き出されるようであった。― 中略 ―
 当時の私の眼に映った先生と奥さんの間柄はまずこんなものであった。そのうちにたった一つの例外があった。ある日私がいつもの通り、先生の玄関から案内を頼もうとすると、座敷の方でだれかの話し声がした。よく聞くと、それが尋常の談話でなくって、どうも言逆いらしかった。先生の宅は玄関の次がすぐ座敷になっているので、格子の前に立っていた私の耳にその言逆いの調子だけはほぼ分った。
 
​​​ そうしてそのうちの一人が先生だという事も、時々高まって来る男の方の声で解った。相手は先生よりも低い音なので、誰だか判然しなかったが、どうも奥さんらしく感ぜられた。泣いているようでもあった。私はどうしたものだろうと思って玄関先で迷ったが、すぐ決心をしてそのまま下宿へ帰った。(夏目漱石「こころ」)​​
​​​​​​​​ ​​​ 高校の教室で出会うことがある夏目漱石「こころ」(新潮文庫)の一節ですが、教科書には載っていない「先生と私」のはじめの頃に出てくる描写です。
 評論「漱石」(岩波新書)の中で三浦雅士「こころ」のこの部分を取り上げてこういっています。​​​​​​​​​

​ 『心』は冒頭、語り手の学生が、先生の淋しさ、奥さんの美しさを強調し、先生と奥さんは仲のよい夫婦の一対であったと断言するために、夫婦の危機などおよそ感じられないのだが、将にその断言と同時に、先生と奥さんの喧嘩もまた報告されるのである。玄関先で言い争う声を聞き、奥さんが泣いているようでもあったので語り手は遠慮して下宿に帰るのだが、約一時間後に先生がわざわざ呼び出しに出てきて一緒に散歩に出ることになる。
 妻と喧嘩して神経を昂ぶらせたのだというのです。
 どうして、という語り手の問いに、先生は、妻が自分を誤解する、それを誤解だといっても承知しないので、つい腹を立てたと答える。
 この経緯は、後に、奥さんの口からも語られます。先生は世間が嫌いだ、人間が嫌いだ、従ってその一人である自分のことも嫌いだ、そうとしか思えないというのです。
 私はとうとう辛抱しきれなくなって聞きました、と奥さんは続けます、私に悪い所があるのなら遠慮なくいってください、改められる欠点なら改めるからって、すると先生は、お前に欠点なんかありゃしない、欠点は俺の方にあるだけだというんです、そう言われると私、悲しくなってしようがないんです、涙が出てなおのこと自分の悪い所を聞きたくなるんです、と奥さんはそう物語るのである。
​​ ​ 先生夫婦を危機に陥れているのいったい何か。なぞめいているその謎に気を取られてしまうために、この若くして引退したとでも言うほかない淋しい夫婦の溝は薄められるだけ薄められてしまっているのだが、しかし、危機にあることに変わりはない。
​​(​三浦雅士「漱石」)​​
​ 一人の女性をめぐって、三角関係に陥った二人の男性が、自殺することで自らの生き方の筋を通そうとする。そこのところを、たとえば教科書を作っている人たちは高校生に読ませたがる。そういう、いわば教養小説として「こころ」は読まれ続けてきました。
 しかし、この小説の面白さ、本当の悲劇性は、そのような男たちの傍らに「悲しくなってしようがない」奥さんを描いているところにあるのではないでしょうか。
​​​ 現代社会に生きているぼくから見て、先生Kのような男性にさほどのリアリティを感じることは出来ません。現代にも通じる普遍的な悲しみは、むしろ、この奥さんの悲しみの方にこそ、真実があるのではないでしょうか。
 愛し合って暮らし始めたはずの二人の人間は、互いを本当に知り合うことは出来るのでしょうか。​​​

​​​​​​​​「こころ」の解釈をめぐって、妻のお静先生とKとの間にあったことに最後まで気付かないのは不自然だという考え方があります。​そうでしょうか。ぼくにはそうは思えないのです。
 親子であることの「愛」を信じ切れなかった漱石が書いたから言うわけではありません。我々は、親子であるとか、夫婦であるとかという関係によって、何かをより深く知るという契機を、本当に、与えられているのでしょうか。むしろ、信じるとか、悪くいえば分かったつもりになることによって、相手を見失っているのではないでしょうか。
 ぼくには、単なる他人ではなく、夫婦だからこそ、お静先生が抱えもっている謎を解く方法があるとは思えないのです。
 一方で、人は心の奥底にある「ほんとうの姿」を誰かに伝えることができるのかと考えれば、先生の沈黙は自然だとも思います。そのような、夫の不機嫌な沈黙の謎に、妻であるお静はどうすれば近づくことができるのでしょう。​​​​​​​

 相手の心に寄り添い続けている人間だからと言って、相手の心の謎を解くことができるのでしょうか。
 解くためには、ひょっとすると、寄り添うことをやめるしかないのではないかとぼくには思えます。

​​​​​​ 迂闊とも見えるお静「気付かなさ」は、むしろ「自然」と呼ぶべきではないでしょうか。そして、その「気付かなさ」中にこそ人間の普遍的な哀しさがあることを小説は描いているのではないでしょうか。
 実は、先生にもお静の哀しさが見えていないことがそれを証していると思うのです。​​​​​​

​​​​ 三浦雅士は、評論「漱石」の中で、作家漱石「母の愛を疑い続けながら、その疑いを隠し続けた人間」として捉え、彼のすべての作品の底には、その〈心の癖〉が流れていると論じています。​​
 ​たとえば、ユーモア小説として名高い「坊ちゃん」の下女「おきよ」に対する、偏執的とも言える坊ちゃんの甘え方は、その具体例であるという具合に。​
​​​​ 三浦の論に、誰もが納得できるかどうかはわかりません。しかし、ぼくには先生とお静のこの場面を引用し、ここに漱石の〈心の癖〉が露見しているという三浦の指摘はかなり納得のいくものに思えます。先程いいましたが、この場面にこそ、漱石のこの作品の「凄さ」があると思うからです。
​​​​​​​​​ 先生はKのまなざしを、おそらく死ぬまで怖れ続けますが、一方で奥さんの悲しい愛のまなざしが注がれ続けていることには気付けません。それは、確かに母の愛を信じられなかった男性の宿命のようなものかもしれませんが、ひょっとすると、それは人間というものの他者との出会いの宿命であるともいえるかもしれません。
 しかし漱石は、先生の「心の謎」も含めて、全てを受け入れようとする「お静」の姿をこそ描いているのです。ここが、漱石のすごいところだと言えないでしょうか。
 良い評論というのは、論点の面白さはもちろんですが、引用の上手さに、唸るような面白さを持っているものです。三浦雅士「漱石」は随所に目からうろこの引用の山です。この評論をガイドにして漱石を通読してみるなんていうのはいかがでしょうか。(S)​2018/10/04​​​​​


​​追記2019・05・11
​​ 以前の記事をかなり書き直しました。三浦雅士の紹介というより、ぼく自身の「こころ」に対する感想というニュアンスの方が強くなりましたが、読んでいただけると嬉しいです。​​​​​​​​​​​​​

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最終更新日  2023.12.27 23:50:53
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