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杉山龍丸「ふたつの悲しみ その2」-鶴見俊輔「夢野久作」より
さて、杉山龍丸です。彼は「ドグラ・マグラ」(夢野久作)の世界から、この世に生まれ出た男でした。 ぼく自身の中に不愉快の澱のようなものが滞っていくのが嫌で、不機嫌になります。なんか、昔見たホームドラマのじーさんみたい。それで、「あっ、そうだ」と膝をうった(うってませんが)のが杉山龍丸の「ふたつの悲しみ」でした。 ところで、元号騒ぎが始まって、ほぼ一ケ月。「時代」という言葉がしきりに口にされ、堰を切ったようにうっとうしい空気が流れ始めています。 「変な世の中になりそうな空気充満してるけど、こういう文章が書かれていたこと忘れんといてほしい。」 それが「あっ、そうだ」の直接の理由だったのですが、書き始めて、もう一つ、知ってほしいことがあるのに気づきました。 杉山龍丸という人についてです。「この人のことは言っておかなくちゃ。」そんな感じです。というのは、この人の生き方というのは、ちょっとすごいんです。ココからはちょっと薀蓄ぽくなります。 話が古くなりますが、西南戦争の後、九州の博多に玄洋社という思想結社が生まれます。頭山満とか内田良平なんていう名前を御存知の方もいっらしゃるかもしれませんが、所謂、国粋主義の団体とされています。しかし「オッペケペー」で有名な川上音二郎もここの社員ですし、孫文やインドのボースを支援したことでも知られています。 で、杉山の祖父、杉山茂丸(1864~1935)という人は、この玄洋社という国粋主義者の団体の中心的人物の一人です。結構有名な話らしいのですが、明治天皇の教育係であった山岡鉄舟の紹介状(彼はそこの書生でした)を手に伊藤博文の暗殺にでかけ、伊藤自身に諭され北海道に逃げたなどという逸話の持ち主です。 結局、安重根によって暗殺される伊藤博文ですが、そっちは「鶴見俊輔伝」を書いた黒川創が「暗殺者」(新潮社)という小説で書いています。こちらも、なかなか面白いのですが、今日は紹介だけです。 暗殺者にならなかった杉山茂丸は台湾統治から満鉄にいたる時代に、政界の黒幕、国士と呼ばれるような活動家でした。またの名を「杉山ホラ丸」というそうです。 この杉山ホラ丸の長男が杉山泰道なのです。こう書いても、なんのこっちゃというわけですが、彼には別の名前があります。 今となっては知る人ぞ知るになってしまった怪小説(怪奇ではありません)「ドグラ・マグラ」(ちくま文庫・夢野久作全集9)・(角川文庫 上・下)の作家夢野久作(1889~1936)です。 夢野久作、本名「杉山泰道」は昭和初期に活躍し、父の後を追うように、三人の息子を残して、1936年に他界します。 一応ミステリー作家に分類されますが、たとえば「ドグラ・マグラ(上・下)」はとてもそんな分類におさまるような探偵小説ではありません。ぜひお読みください。なんというか、めまいがします。 明治から昭和の日本政治史、昭和の日本文学史に、祖父と父が、それぞれ奇怪な名声を残す家系の中に、杉山泰道の長男として杉山龍丸は生まれます。大正八年(1919)のことです。 福岡中学、陸軍士官学校、技術学校を経て軍人となり、フィリピン・ボルネオの戦場で従軍し負傷しますが、少佐として復員します。五年の療養生活の後、さまざまな仕事を転転とする苦しい生活を経験したようです。こうしてみると、この文章が書かれるにいたるには、軍人としての戦場での体験と復員後の苦しい体験という二つの水脈のあることを感じます。しかし、話はここからなのです。 杉山龍丸は、上記のエッセイを書いた1960年代の中ごろ、インドに渡ります。父や祖父から受け継いだ全財産、田畑三万坪を売り払い、その金を砂漠の大地に木を植えるという事業に、すべて注ぎ込むという奇想天外な後半生をおくるのです。 祖父は独立運動に名を残しているボースの支援者でしたが、杉山龍丸の行動は、インド解放の父ガンジーの後継者ネルーとの出会ったことがきっかけだといわれています。以来、半世紀の時が経とうとしています。 彼自身は1980年代に亡くなっていますが、インドでは「グリーンファーザー」と呼ばれている偉人だそうです。日本人は誰も知りません。日本に残された家族さえ詳しいことは知らなかったそうです。ぼくが思い出したのはこのことです。 「ふたつの悲しみ」を書いた杉山龍丸が戦後を生きようとしたとき、心の奥であふれ、新しい水脈となって彼を驚くべき後半生へと突き動かしていった情熱の奔流についてでした。この人のこのような行動について、哲学者鶴見俊輔は、あらゆる制度的な仕切りを飄然と越えてしまう生き方に注目し、「祖父から父へと受け継がれた杉山家に流れる“狂気”」と解説したことがあります。ぼくが、彼の名前を知ったのは鶴見俊輔が何度か書いている「夢野久作論」のどれかによってです。(手元に本がないので、申し訳ありませんが詳述できません。) ともあれ「私たちはなにをなすべきであろうか。」と自問した結果、子供も家族もある、五十才に手が届こうかという元軍人が、国家を超え、財産や名誉に見向きもせず、世界の最底辺の民衆を救うことを思い立つ非常識、狂気にも似た考え方がありえたのです。これはただ事ではないと思いませんか。 「ぼくたちの現在」に漂っているいやな空気には、この人の生涯と対極的な、何かが腐りはじめた匂いがただよっているように、ぼくには感じられます。制度化して根源性を失いつつある様々な考え方を問い直す、さわやかな力が、彼の行動にはあると思うのです。 ここで、もう一人、「ああ、この人もいた」と、ある人物のことを思い出しました。アメリカによる空爆下の、アフガニスタンで井戸を掘り続けた医者、中村哲です。 彼は、同じ九州、博多が生んだ、もう一人の小説家火野葦平の甥っ子です。映画の好きな方であれば、昭和二十年代の映画「花と竜」の親分玉井金五郎が、実際に彼の祖父です。 中村哲についてはまたいずれ。ということで、今日はここまでで失礼します。 追記2019・11・18 「杉山龍丸その1」はこちらをクリックしてください。 中村哲さんについて、なだいなだの文章を投稿しています。こちらをクリックしてみてください。 「中村哲にノーベル平和賞を」 「医者井戸を掘る」(石風社) 「空爆と復興」(石風社) ボタン押してネ! にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.12.03 02:03:50
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