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カテゴリ:映画 ドイツ・ポーランド他の監督
トーマス・ステューバー「希望の灯り」シネ・リーブル神戸
JR神戸駅で下車して元町商店街の二本南の道を東に向かって歩きます。中央郵便局の前を通って、しばらくすると、ずっと東に朝日会館ビルが見えてきます。アーケードのある商店街からは見えませんが、こちらを歩くと、すぐそこに見える感じがぼくは好きです。 南に下る道と交差するところでは、いくら歩いても、通路の向こうにポートタワーが見えます。不思議ですね。だからというわけではありませんが、最近、この、ビルの谷間っぽい道を歩くのが気に入っています。 大丸の南の交差点を渡って、左右に並ぶ高級ブランド街を抜けて、通り一本、北に歩くと朝日会館です。でも、今でも「朝日会館」っていうのですかね。 席についてお茶を飲んでカレーパンを齧っていると、スクリーンが暗くなって映画が始まりました。 「希望の灯り」です。いきなりヨハン・シュトラウスが流れてきます。大きな倉庫のような棚が見えて、フォーク・リフトが動いていています。その動きと音楽の組み合わせに見入っていると独特な感じが湧きあがってきます。 「これは、なんだろう?」 スーパー・マーケットのバックヤードに、見栄えのしない青年がやってきて、制服を与えられ、手首から見えている刺青、タトゥーというべきでしょうか、を注意されています。青年は棚が縦横に並んでいる体育館のような谷間に連れてこられて先輩に紹介されます。青年の名はクリスティアン 、先輩はブルーノ。30歳以上は年上に見えるオヤジで、明らかに偏屈者のようです。 ブルーノが小言めいた一言の後、ポーンとクリティアンの肩だったか胸だったかを叩きます。 「おっ、これはいいぞ。」 見ているぼく自身の中に「ホッ」とした気分がやって来ました。職場の同僚たちも、ぶっきら棒ですが暖かい空気が流れています。仕事の段取りを覚えていく「新入り」をその空気が包んでいきます。 出勤すると更衣室で袖口の入れ墨を隠すシーンが繰り返されます。日々の仕事が始まる儀式のようです。 何でもないような、それでいて気にかかる小さなエピソードが見ているぼくをひき込んでいくのです。 膨大な商品が入荷し、フォーク・リフトが滑るように動いています。完全に分類され、整頓され、賞味期限が確かめられ、廃棄されるスムーズな流れがシュトラウスの音楽のようです。 酒瓶が高い棚の上まで積み上げられ、素人には見分けのつかない、あらゆるパスタが並べられ、水槽では大きな魚たちが殺されるのを待っています。冷凍庫に閉じ込められればひたすら走るほかに、働いている人間に生き延びる方法はないことが防寒服を着た時の笑話しになります。 何列も並んでいる棚の谷間で人間が働いています。自動販売機のコーヒーを飲み、トイレで隠れてタバコを喫い、こっそりチェス盤を囲み、クリスマスを廃棄商品で祝う。その一つ一つが「人間的」で「暖かく」て、しかし、哀しい。聞こえてくるシュトラウスの音楽も、こんな演奏者によって奏でられているのでしょうか。 この場所が、かつて社会主義の国、東ドイツの町であり、長距離トラックの基地であったことがブルーノの口から語られます。金網越しにアウトバーンを走る自動車が見えています。 恋に落ちた「新入り」は賞味期限が切れた廃棄物の小さなチョコレートケーキに一本だけローソクを立ててマリオンに差し出し、二人は灯りを見つめ合います。 作業用のカッターナイフで切り分けられるチョコレートケーキを見ていると、何かが迫ってくる感じがします。でも、うまくいく予感はしません。 案の定、破綻した恋に苦しむ「新入り」を自宅に招き、刺青の過去を見破りながら、それでも、 「お前が待っていてやれ。」 と、穏やかに諭すブルーノの眼差しが心に残ります。 ブルーノの家からの帰り道、高速道路のライトにボンヤリと照らし出されながら、シルエットだけが、トボトボと歩いていくように見える「新入り」に、楽しい思い出はあるのでしょうか。 梱包用のプラスチックテープをキチンとたたんで再利用を教えながらポケットにしまう、そんな仕事ぶりだったブルーノの突然の自殺が知らされます。 あの晩 「妻が奥で、もう寝ている。」 と言い、二人は薄暗い台所で酒を飲んだはずです。クリスティアンは、その住まいを、もう一度確かめずにはいられません。空っぽの寝室がブルーノの空虚を静かに寂しく物語っています。 暖かい空気の底に流れている「本当のこと」を知った哀しみが、「新入り」クリスティアンを職場の「仲間」達の一人にしていくようです。職場に帰ってきたたマリオンが笑顔で飛び乗ってきたフォーク・リフトはシュトラウスの音楽のように滑るように動いています。リフトを軽快に操作し、傷ついている「仲間」を笑顔で運ぶ「仲間」になったクリスティアンの姿があります。 彼はシルエットではなく、自分の足で歩き始めたのです。 映画の終わり近くの、ブルーノの死とマリオンの復帰という二つのエピソード、そして、この巨大なマーケットの正面が最後まで映し出されなかったという事実が「問い」なのか、「答え」なのか、くっきりと心に残りました。 アウトバーンからマーケットの倉庫まで、巨大な流通と消費のシステムが作り出す「通路」。そこで、日々働き続ける人間が、その資本主義のシステムに何を奪われ、何に耐え、何を守ろうとしているのか。現代社会を生きる人間にとって、おそらく、最も普遍的な問いを静かに描いた傑作だったと思います。 帰り道は元町商店街を歩いて、元町映画館で一服させていただいて。知り合いのカウンター嬢とおしゃべりでした。 「今日は、どちらへ?」監督 トーマス・ステューバー 製作 ヨヘン・ラウベ ファビアン・マウバッフ 原作 クレメンス・マイヤー 脚本 クレメンス・マイヤー キャスト フランツ・ロゴフスキ(クリスティアン ) サンドラ・フラー(マリオン) ペーター・クルト(ブルーノ〉 アンドレアス・レオポルト(ルディ) ミヒャエル・シュペヒト(クラウス) 原題「In den Gangen通路で」 2018年 ドイツ 125分 2019・05・27・シネリーブル神戸(no8) 追記2020・06・30 この映画の原作はクレメンス・マイヤーという作家の「夜と灯り」(新潮クレスト・ブック)という作品集に収められている「通路にて」という短い小説です。 「負け組」という、いやな言葉があります。映画の登場人物に限らず、ほかの作品に登場する人達も「過去」や「素性」に暗いものをを抱えています。 映画では主人公が「刺青」を隠すために服のボタンを気にかけたり、彼が恋心を抱くマリオンがDVの被害者だったりしますが、それが、すでに過去の制度に過ぎないはずの「東ドイツ」を象徴するように見えるところに、この作家の特徴があると思います。 作品集の作品はどれも暗くて印象がうすいのですが、この映画で「ケーキ」の上で点された蝋燭の灯りは記憶に残りました。この灯りの輝きが暗示している「希望」は本当にあるのでしょうか。 国家や資本主義経済のシステムに抑圧され追い詰められている人間の「哀しい姿」を美しく描き出した映画は素晴らしいのですが、原作では「夜」のイメージが、もっと強い印象で終ります。 ただ、このように世界を見て、書いている作家がいることに「希望」はあるのかもしれませんね。 にほんブログ村
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最終更新日
2023.08.03 21:41:48
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