大江健三郎「河馬に噛まれる」(講談社文庫) 大江健三郎なんて、若い人はお読みになるのでしょうか。まあ、年取った人もお読になるのか、ともいえるわけだですけれど、入試で使われるわけじゃないし、読んで、ああ、おもしろいとなるわけじゃないし、やたら誰も読まない西洋の古典や哲学を持ち出して、読んでいながら「さあ、もう、投げ出しなさい、投げ出しなさい。」と声をかけられているとでもいう展開だし、作品の中でのことではあるのですが、小説家(書き手)の周辺と思しき登場人物の、妙に道徳的な振る舞いが鼻につくし。
作家が映っている写真を見ると、大体、昭和の大家然とした丸メガネが胡散臭いし、本来、素朴なはずの、そのデザインが逆にわざとらしくてうっとうしい。
そんな大江健三郎の「河馬に噛まれる」(講談社文庫)を、小林敏明という人の「柄谷行人論」(筑摩選書)の中の引用だか、注釈だかに促されて久しぶりに読みました。
初めて出版されたころのことを何となく覚えています。1985年に文藝春秋社から出版された単行本の文庫版ですから、30年以上前の作品です。「ヘルメス」という岩波文化人雑誌に掲載された章もあったとボンヤリ記憶しています。
ぼくは当時、「連合赤軍事件」を思想的に総括したと評判をとり、川端康成賞を受賞したはずの、この小説を、読み始めはしたものの、結局、途中で投げ出したのでした。ところが今回、予想もしなかった場所に連れて行かれた、そんな感じを持ちました。「面白かった」というのとは、微妙ですが、少し違う場所でした。
アフリカの自然公園で飼育係をしている青年が河馬に噛まれた。そんな素っ頓狂なエピソードから小説は始まります。
革命党派の生き残りの「河馬に噛まれた青年」はいくつかのエピソードを経て「大江ワールド」の住人になっていきます。
青年をめぐる出来事と、作家である語り手の個人的な記憶や事件が、語り手の日常生活に複層的に重ねられて語り続けられていきます。どこに終着点があるのか、どこまで行っても読者であるぼくにはわからないムードが漂っていて、またもや投げ出しそうだったのですが、何とかたどり着いた最終章「生の連鎖に働く河馬」の末尾でこんなフレーズが用意されていました。
河の中に緑の植生のかたまりができると、河は氾濫する。水中で盛んに活動する河馬は、植生のかたまりに通路を開き、水の流れを恢復させる働きをする。
河馬にはまたラベオという魚がまつわりついており、河馬が陸上からおとしこむ植物や、河馬自体の糞を食べる。そのようにして河馬は、アフリカの自然の生物の食物連鎖に機能をはたしている。
小原氏の記述に僕は誘われる。
ラベオと呼ぶ魚の群れをまつわりつかせつつ、水流を閉ざす緑の植生のかたまりに通路を開けるべく、猛然と泳ぐ河馬のありようが、有用なものとして排泄されるそいつの糞便ともども、人を励ます眺めではないか?
おそらくは気の荒い牡の若い河馬に噛みつかれるほどまぢかから、活動を見守っていたものにとって、河馬の働きはいかにも勇ましく奮い立たしめる体のものではなかっただろうか?
文庫に収められた六篇の、それぞれ独立しているともいえる連作の中に、このフレーズは二度出てきます。
もちろん、環境保護団体のアピールではありません。れっきとした小説のことばです。この作品全体を、あるいは、作家の「書く」というモチベーションの正体を照らし出す光源のありかを、かなり遠回しではあるもののも、たしかに暗示しているとぼくは読みました。
真っ暗な何もない舞台には、あたかも、人が生きる日常の光が満ちているように設定された照明が、作家によって備え付けられていることに、読者のぼくは「あっ、そうか」と得心しました。で、「得心」と一緒に、ここまで読んできた小説の世界が上から降りかかってくるような異様な感動がやってきたのです。
二度目に、そして、作品群の最後に出てきた、このフレーズを読みながら、連赤の生き残りの青年を小説の世界に召喚する作家の手つき、手管のようなものに強い違和感を感じた初読の、あの当時に引き戻されながらも、一方で、小説の中の大江のことばを借りて言うなら、「この項つづく」と言いきかせながら暮らしてきたぼく自身の日々と、その結果たどり着いた、ぼく自身の現在という場所を照らし出す灯のような力が、この、いかにも大江的で大仰なフレーズにはあると感じました。
60歳を越えたぼくが、一体、なぜ、「この項つづく」と自分自身が固執してきたと感じたのか、一体、何を「この項つづく」と感じてきたのか、実は両方とも、うまく言葉にすることはできません。
しかし、この年齢の、この場所に来て、大江のいうように「上向きの勢いを込めて」かは、心もとないにしても、やはり、もう一度「この項つづく」とつぶやいてみようか、そんな気持ちになって本を閉じたことが不思議でした。(S)
追記2020・03・22
大江健三郎と柄谷行人の対談集「全対話」(講談社)の第一章は詩人で作家であった中野重治について語り合ったものです。大江がこの小説で使った「この項つづく」は、中野重治の著書の中の「この項つづく」の引用なのだということが語られているのですが、興味のある方は対談をご覧ください。
ちなみに、ぼく自身の感想は《大江健三郎・柄谷行人「全対話」》に書いています。ここからどうぞ。
追記2022・11・26
大江健三郎のこの作品を、最初に手に取ったと記憶している1985年、ぼくは31歳でした。そもそも、大江の作品群に夢中になりはじめたのは1975年あたりです。で、今、現在が、2022年で、68歳です。
最近、「大江健三郎自選短編」(岩波文庫)という、かなり膨大な文庫本を手に取る機会があって、ポツポツ読み始めています。キーワードは「この項つづく」です。とりあえず、大江健三郎という作家の「この項」とは何だったのかという関心なのですが、「奇妙な仕事」、「死者の奢り」、「飼育」と読み継ぎながら、20代の自分が、いったい何を「この項」として読んでいたのか、さっぱりわからないというのが、今のところの感想で、かなりうろたえています。
要するに、あの頃の自分が何をそんなに面白いと思っていたのかが、今読み返してよく分からないのですね。
マア、そういうこともあって、オタついていますが、もう少し読んでみようという、意欲は残っているようなので、そのうち感想を載せたいと思っています。
追記2023・03・15
60歳を過ぎて、大江健三郎の作品と再会したのはこの作品でした。つい先日この作家の訃報を見たり聞いたりしながら、ぼく自身の10代からの50年、半世紀にわたって、ぼく自身もなんとか、かんとか、生きてきた「同時代」について、作品によってに限らず、参加(?)することを臆することなく続けてきた作家は、結局、彼一人だったなあ、という、まあ、感慨に浸りました。
そういえば、サルトルのアンガージュマン(engagement)という言葉も、この作家の何かの文章で覚えたのではなかったか、そんな記憶のようなものも、一緒に湧いてきましたが、「この項つづく」と横に置いたまま、忘れていく自分をどうしていいかわからない現実社会の混沌は、いつまで経っても混沌のままなのだということを知るばかりで、アンガージュマンのすべはわからないままです。
老いた作家の肖像写真を見ながら、せめて、この作家がたどり着いたところがどこなのか、やはり作品に帰ってみようと思いました。
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