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宮下規久朗「ウォーホルの芸術 20世紀を映した鏡」(光文社新書) 大学で芸術学の先生をしている学生時代からの友人が、神戸大学に面白い美術史の先生がいるといって教えてくれた。その名が宮下規久朗です。早速、その先生の本を読みました。それがこの本です。 「いったいどこが芸術やねん?ただのイラストやないか!」 そう叫ぶ人がいても、何の不思議もない作品群です。 画廊の壁に棚を作り、その上に一列に展示した。これはスーパーマーケットの棚に商品が整然と並んでいる様を模したものだった。近くあったライバル画廊ではこれを皮肉るため、実際にスーパーマーケットで本物のキャンベル・スープ缶を買ってきてショーウィンドウの中にピラミッド状に積み上げ、「だまされないで本物を買おう。当店は格安、2個で33セント」という札をつけた。 要するに、近所の画廊の親父も、缶詰のデザインの連作を見て、 何でそんなもんが芸術やねん!? と腹を立てたかもしれないということっです。近代美術で有名なモネやセザンヌだって連作は描きました。しかし、同じ缶詰の、内容表示だけが違う連作を描いて、堂々と個展を開くというのは、それらと何かが、根本的に、違っていますよね。 ウォーホルの連作は同じ商品のすべての種類を描いただけであり、反復する動機は画家の側にはなく、主題、つまり商品の側にあったのである。商品が32種類あるから32点の作品を描くという、一見合理的だが、作者の制作意図や創意というものがうかがわれない連作である。しかも、その筆触は平坦で線もきっちりとしており、作者の息づかいや個性のようなものはほとんど感じられない。しかし、それこそがウォーホルの狙いであったのである。自分の内在的な欲求や、造形的な探究心を見せないようにして、あるいはそれを無化して、外在的な根拠や動機に身をゆだねるというのが以後ウォーホルの基本姿勢となり、彼の芸術に共通する最大の特徴となる。 これが宮下先生の解説です。芸術の歴史をちょっと振り返れば、ウォーホルのこの基本姿勢は、かなり衝撃的な態度変更だということはすぐわかるでしょう。 やがて、ウォーホルはシルクスクリーンという、写真をキャンバスに転写する技法よって、有名人の肖像を作品化し、ぼくでも知っている世界的な人気アーティストになります。 そのあたりについて宮下先生はこうおっしゃっています。 マリリンにしてもエルヴィスにしても的確な写真を選び、それをそのまま用いた。美しいものはそのままで美しく、余計な操作を加えなくてもアートとして成立するのだということを示した。と、このように指摘し、加えて、ウォーホルのもっとも見事な独創性についてはこうです。 情報化社会で消費される商品や有名人だけでなく無名の市民の事故や犯罪に関する写真をも取り上げたことにある。それらは、現代人が見ないようにしている死の現実や権力の恐怖をつきつけ、ショッキングであるだけでなく、拡大や繰り返しといった独自の様式化によって質の高い宗教画のような厳粛な印象を与える。 最大級の賛辞ですね。同一商品の大量生産に拠り所を得ている現代社会において、個性を殺すことで、かえって宗教的な象徴性を獲得する表現になったというのが宮下喜久朗の主張ですね。是非はともかく、まあ、ボクは大いに納得したのですが、ちょっと現代美術の始まりと変遷について興味をお持ちの方にとって、本書はウォーホルの全作品解説のおもむきがあって、なかなかいけてるとぼくは思いました。(S) にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.06.15 09:49:26
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