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福岡伸一「プリオン説はほんとうか」(講談社ブルーバックス)
もう、十年も昔のことになってしまうが、このブログのもとになる「読書案内」を高校の生徒さんたちに配っていたことがあった。最近、原稿を保存していたファイルが壊れつつあることに気づいて「さて、どうしたものか?」と思案したが、ここに転載することにした。 当時は相手が高校生だったので、そういう書き方をしている。少し直したけれど、さほど変わったとも思えない。新たにお読みいたければうれしい。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 福岡伸一の「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)を紹介したら、思わぬ反響があった。読んでいる人、読もうとする人がたくさんいて嬉しかった。やっぱり本屋さんに山盛りしてある流行の本を紹介した方がいいのかな、そんなふうに思った。 とはいうものの、興味に引きずられて、同じ福岡さんの「プリオン説はほんとうか」(講談社ブルーバックス)を続けて読んだ。むずかしかった。 めげずに「もう牛を食べても安心か」(文春新書)も読んだ。こっちは、口当たりがよくて、おもしろかった。 両方とも「狂牛病」がテーマの本。しかし、本のオモムキというか、想定されている読者がかなりちがうようだ。「プリオン説はほんとうか」は理科系の高校生か教養課程の大学生、一般の高校生ならかなり出来のいい人が対象らしい。グラフの比較や実験の方法が詳しく説明される。これが、ぼくのような文系素人にはだんだん苦痛になってくる。 一方で「もう牛を食べても安心か」は一般社会人向け。「狂牛病」の社会的大騒ぎに答える形で書かれている。 狂牛病という病気がイギリスの牛で流行して、牛丼の吉野家が豚ドンの吉野家になってしまったあの事件、憶えている人もいると思う。 この事件が僕たちの不安を掻きたてたポイントは、まず脳がスポンジ状になるということ。続いて、かかったら治らないらしい動物の病気が人間に感染するということ。感染する病原体の正体が僕たちが耳にしたコトのあるウイルスとか、細菌といった「生き物」ではなくプリオンと呼ばれるタンパク質の一種であって、煮ても焼いても毒素は消えないらしいということ。 その上に、イギリスで流行っていた病気がなぜ、はるばる地球の反対側の日本にまでやってくるのかという、ちょっと種類の違う不安も付け加えなければいけないかもしれない。 両著とも、なぜイギリスで、まず流行し、その後、なぜ日本にまでやってきたのかという疑問からきちんと答えている。 もっとも、一番知りたい、答えてほしい事実、つまり「病気の正体」というのが、実は、ハッキリしていないということもきちんと答えているわけで、この本を読んだからといって、我々素人の不安が解消するかどうか保証の限りではない。 どっちかというと政府や社会一般の対応のずさんさに気付いてしまって、かえってヤバイ気分になる可能性もある。 つまり、再開した吉野家は大丈夫かという不安が再燃する可能性は大いにあるということだ。 発病の原因である病原体について、研究の歴史を踏まえながら、科学的、実証的に論証して見せるのが「プリオン説はほんとうか」の方の狙いらしい。 著者は研究者としてプリオン説に、はっきり疑いをいだいている。その疑いが、著者自身の研究と直結しているところが、スリリングで、最初の読みどころ。研究者を夢見ている高校生や、プリオンというたんぱく質病原体説に興味をお持ちの方には、特にお薦めの内容だと思う。 一方、病気の流行に対する、政治的、社会的責任について、厳しく現状批判しているのが「もう牛を食べても大丈夫か」のほうで、「食べる」という生き物の行為の意味と実際について政治家や商売人たちは如何に無知で、無責任であるかということが批判の根底にある。 「食べる」ことの分子生物学的解説が始まる第二章「私たちはなぜ食べ続けるのか」あたりから、実に面白い。 「生物と無生物のあいだ」をお読みになった方は覚えがあるかもしれないけれど、シェーンハイマーというノーベル賞級の業績をあげながら、若くして自殺したユダヤ人学者の唱えた、《身体の「動的平衡」》という概念、いや、概念ではなくて、これこそが生命の姿だというの生命観の解説が最重要なポイントだと思った。 要するに「新陳代謝」のことなのだが、なぜ人間は脂肪や炭水化物だけでなく、タンパク質を摂取しなければならないか、摂取したタンパク質は体内でどんな役割を担うのかという、わかった気になっていた食物の消化と吸収の本質を、遺伝子組み換え食物や臓器移植の危険性に言及しながら、今までの新陳代謝概念を完全に動的平衡概念に新陳代謝してくれる。 たとえば、ぼくのような門外漢は、「脳」だけは新陳代謝しないと考えてしまっていたが ― だって、新陳代謝してしまったら記憶はどうなるの? ― 脳も例外ではないらしい。 記憶の構造は記憶細胞が溜まっていくというようなことではなく、シナプスのネットワークを駆け巡る電気信号の「流路パターン」の保持だというのだ。 こんなふうにいくら書き綴っても、この案内の読者にはピンとこないに違いない。まあ読んでもらえばわかるので、是非お読み頂きたい。きっと驚くと思う。 ところで、この本のいいところは新知識の獲得という点だけにあるのではない。 一つ目が、科学者がわかるというためにどこまでも検証しなければならないという科学に対する真摯な態度、誠実さ。 二つ目は、わかっていることを政治や金のために捻じ曲げたり、売名したりすることに対して徹底的に批判するモラル。 この二つが執筆の姿勢として貫かれていることこそ、難しくても読ませる理由だとぼくは感じた。(S) 追記2019・06・16 福岡伸一さんは、このころから、出版業界ですっかり売れっ子になってしまった。要するに、次々と素人の読者層をターゲットにした、お手軽出版物の著者になってしまったといってもいい。「動的平行」の入門書も複数出たし、ついには美術評論家のような趣味の本も出た。 ぼくは気に入った人は追いかけるタイプの読者なので、かなりなところまでついていったと思うが、手に取って二時間ほどで読み終えることができる内容になったころにオッカケをやめた。 内容が進化していないことが一番の理由だ。この人を読むなら、結局「生物と無生物のあいだ」(現代新書)で十分だ。 ボタン押してネ! にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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