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カテゴリ:読書案内「社会・歴史・哲学・思想」
井垣康弘 「少年裁判官ノオト」(日本評論社) ♪♪盗んだバイクで走り出す かつて、尾崎豊という青年が唄った「15の夜」という歌があります。1992年、26歳だったかの若さで謎の死を遂げてしまった、伝説の歌手のデビュー曲です。今でも知っている高校生がいるかもしれません。ナイーブで暴力的なまでに激しい少年の感覚を歌った切ない名曲がたくさんあります。まあ、好き嫌いはあると思いますが。 ところで、「15の夜」バイクを盗んだ少年がたどり着く場所の一つに家庭裁判所少年部というところがあります。今日紹介する本は少年係判事として裁判官生活の最後の八年間を送り、退職して弁護士をしている井垣康弘という元裁判官の手記「少年裁判官ノオト」(日本評論社)という本です。値段が1600円しますから、この案内で紹介する本としては少々高めでしょうか。 それでも、この本は読む価値があると思います。まず、裁判官などという仕事をしている人は一般の人向けの本を書くことをおそらくめったにしないのでしょう。判例集のような専門書ならともかく、一般読者向けなど、ぼくは見たことがありません。 もしあったとしても裁判官の書く文章を想像すると、ちょっと読む気がしなくなりそうじゃありませんか。ところが、この本の場合はそのまま全部仕事の記録なのですが、コレが裁判官なのかと思わせるような洒落っ気に充ちた文体で書かれています。いい加減という意味ではありません。司法の世界を情報開示、医学でいうインフォームド・コンセント、することで変えていきたいという意志に貫かれているようすで、文章作法にも工夫があるのです。 次に、少年の犯罪についてコレだけ世間が騒いでいるというのに、例えば誰が鑑別所と少年院の違いについて知っているだろうという疑問に答えています。 少年達の反社会的行動について、警察や裁判所がどのように対処しているのか知っている人はいるのでしょうか。 この本は現場で少年審判を行ってきた裁判官の報告であり、審判のプロセスについて素人が気付かない問題点やルールについても丁寧に解説しています。良心的なプロの解説なのですから法律の運用が実によくわかるわけです。 さて、何よりもこの本の眼目は、著者井垣康弘さんが「酒鬼薔薇聖斗」と自称する15歳の少年が犯した連続殺人事件の審判を下した裁判官であるという点だと思います。 事件は1997年、神戸市須磨区で起こりました。大人の理解を絶した異常な「少年A」の犯罪としてスキャンダラスに報道されました。 以来、出版メディアにおいても評論家やルポライターによる関連著作、関係者の証言や手記の類を数え上げれば膨大な数になるとおもいます。「少年法改正」をはじめ、てんやわんやとも言える大騒ぎが続く中、誰もが知らなかった審判の真相。それを担当した裁判官その人が書いた注目の書というわけです。 本書の三分の一は「少年A事件」審判の記録であり、残りは著者が担当した他の少年事件の記録です。 通りがかりの少女をハンマーで殴り殺したり、殺した年下の少年の首を鞄に入れて自宅に持ち帰り、通学する中学校の校門に晒した15歳の少年。自分を救ってくれない社会や家族への絶望と憎悪。「どこか静かな所で一人で死にたい」とつぶやく少年の審判はどのように行われたのでしょうか。 精神鑑定が中井久夫氏ともう一人の精神科医によって行われ、結果が保護者と本人に説明されます。その鑑定書の骨子も本書で読むことが出来ます。 最後に母親が鑑定人に質問した。 裁判長は、このわずかな可能性にかけて審判決定書にこう記したそうです。 「当分の間、落ち着いた、静かな、一人になれる環境におき、一対一の人間関係の中で、愛情をふんだんに与える必要がある。」 少年Aを救うために何が必要なのか。彼は決定書を書いただけではありませんでした。 審判の後、少年院には年に一度のペースで動向視察に行った。調査官も連れて行くが、審判にかかわった調査官は、年々、転勤でいなくなった。 少年院に入ると、若い法務官から猛烈な抗議を浴びせられた。「マスコミが少年Aのことを報道すると、その夜必ず酔っ払いから『まだ生かしているのか。早く殺せ』との意味の電話がかかってくる。裁判官!そういうことを知ってテレビを連れてきたのですか!」というのである。私は、「担当裁判官が少年院を訪ね、少年にも面会もして成績を見ていることを広く世間に知ってもらうことは、将来、少年Aの社会復帰を世間に受け入れていただくためにも、必要かつ有益な情報提供である」旨力説したが、すんなりわかってくださったのは、院長を含む医師たちだけだったようである。 裁判官も行動するのですね。ぼくが本書を読んで一番驚いたのは、実はこのことでした。 やがて、死を望んでいた少年Aがこんなふうに語り始めます。 社会のあれほどの悪意を背にしながら、― 警察官、検察官、裁判官、調査官、弁護人、鑑定人、鑑別所の先生方、少年院の先生方 ― 皆で『生きろ』と言い続けくれたことについて、心から感謝したい。 この本の中には、15歳にしてこの社会から零れ落ちるように人を殺し、一人ぼっちで絶望している少年を、何とか社会の中で生きさせようとする大人たちがいます。人間が共同で生きることを肯定する為に法律があることをプラグマチックに実践する裁判官がいます。ぼくはこの本を高校生に読んで欲しいと思います。そして、仕事の内容は「職種」によって決まるのか、「人」によって決まるのか考えてみて欲しいと思うのです。(S)2006・06・26 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.09.06 11:22:57
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