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カテゴリ:映画 韓国の監督
ホン・サンス洪常秀 「それから」 シネ・リーブル神戸
生まれて初めて、韓国の映画を観ました。ホン・サンスという監督の「それから」という作品でした。 当たり前のことですが、セリフが朝鮮語で、そのリズムというか、テンポが、スクリーンの映像と重なって、「自然なこと」が新鮮でした。まあ、初めての体験だからでしょうか。 ストーリーは、なんというか、始まってそうそうというか、一目見ただけでというか「この男は殴れるものなら殴ってしまうか、誰かに殴られるかしにたほうがいいな。」と直感で思った登場人物がいたのですが、最後まで見終えても、ボク的には、やっぱりどうしようもないやつで、あれこれ、あるけれども、「ああ、そうなの。」という結論で終った印象でした。 「あのね、ほら、漫才のブラックマヨの、アバタの方を、ちょっと、ようしたみたいな。けど、あれって何なん?何なん、あのオトコ?ちょっと、ホン・サンスって、こういう映画なん?」 実は同居人のチッチキ夫人と同伴鑑賞でした。隣同士で座ってみたのですが、見終えての二人の会話は、いまいち、もりあがりません。主人公らしき男性に関しての評価は、どうやらボクよりひどいらしく、俳優の地顔にまで文句言っています。 やれやれ‥‥ とはいうものの、ボク自身はそこそこ面白かったのかもしれません。 まず、モノクロのシーンがいいと思いました。現実と記憶を重ねた展開なのですが、カラーだったら、きっと疲れてしまったと思うのです。まず、男の記憶に出てきて、やがて登場する女と、目の前でしゃべっている女が、同じ人かと思わせるのも、おそらく、かなり意図的な演出だと思います。観ている側に、時間と意識について、微妙な混乱を引き起こすことを狙っているのでしょうが、問題は、この混乱を描くのか?ということですね。そのあたりが腑に落ちないところにイライラが生まれる原因があるらしいのです。 会話のシーンの設定が、そっくりなのも面白いですよね。向き合っているシーンがありますが、これもわざなのでしょうね?そこに現れる二人の表情は、相互理解の不可能性を映像としてくっきり表しているように感じるシーンというか、表情になっていて、観ているこっちは、どっちを見ても落ち着かないのです。女に寄り添う男のシーンがありますが、そこでも、握り合っている手とは裏腹に何も共有していない印象ばかりが伝わってきます。 ドラマは内向きの、世俗的でうんざりする世界なのだけれど、一人だけ、そこにいない女が、紛れ込んできて、やがて出ていくのですが、女は、ここで何をしているのか? 「なぜ、男はあそこで泣くのか。」 「なぜ、タクシードライバーは女を覚えていたのか。」 「なぜ、女は、もう一度男を訪ね、男はなぜ、「それから」を渡すのか。」 とりとめもない疑問が、次々とわいてきますね。「うん、しかし、このわけのワカラナイ感じは、そう悪い映画じゃないな。」という気もしてくるんですよね(笑)。 「女は「代助」なのか「三千代」か。」 ふとそんな気もして、去っていった後ろ姿が浮かんだ。でも、まあ、どっちとも違うような気もするし。 「いや、そもそも、「それから」ってなんなん?やっぱ、ようわからんね。」 2018・08・02・シネリーブル神戸 (no16) 追記 2019・06・27 尾を引いて、しばらく、同じ監督を続けてみました。しかし、まあ、ようわからんことは解決しなかったですね。そのうち、新しい映画を作ったら、また観てみるか?そんな感じは残りました。 一年たって、やっぱり、話は思い出せない。そういう映画やったんかな? ホン・サンス洪常秀「正しい日 間違えた日」・「夜の浜辺でひとり」・「クレアのカメラ」の感想は表題をクリックしてくださいね。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.07.03 00:27:35
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