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カテゴリ:読書案内「啄木・白秋・晶子 あたり」
石川啄木「ローマ字日記」(岩波文庫) 夏目漱石と正岡子規の「往復書簡集」(岩波文庫)の話を、この「読書案内」に書いていて、昔、石川啄木の「ローマ字日記」(岩波文庫)という日記のことがテレビのバラエティというか、当時はやっていた、「へ-」の回数を競う番組で取り上げられた時のことを思い出しました。
「ローマ字日記」というのは、全編ローマ字で記されている日記なのです。旧制の中学校を中退してしまった石川啄木は英語やフランス語はできませんでしたが、ローマ字は書けました。だからと言って、どうして、わざわざローマ字なんかで書いたのかと思ってしまいますね。 いろんな説があるのでしょうが、すぐに思い浮かぶ理由の一つは「隠し事」ですね。日記を読む可能性のある人がローマ字を読めなければ隠し事を書き込むことができます。 先ほどの番組では啄木が妻や家族に隠れて「悪所」通いをしていて、その様子が、日記の中で、かなり赤裸々に告白されていることを笑っていました。「へー」のタップを繰り返すタレントたちの表情に、ぼくはわびしいものを感じました。 実際に、お読みになれば、わかっていただける方もいらっしゃると思いますが、この日記が隠したかったことは、妻や家族には言えない裏切りや不道徳行為だったのでしょうか。 日記は貧困と病気と空回りする野心の中で苦しみつづけていた25歳の青年の「苦悩の告白」なのですが、彼が隠したかったのは「絶望」そのものだったようにぼくには思えます。 ロ―マ字で書き始めたことには、むしろ、洋行など夢のまた夢であった極貧の文学青年の「明日」に対するかなわない期待が込められていたのではないでしょうか。 彼が明治の文豪の一人と数えられるようになるのは、死んでから数十年もあとのことです。「石川啄木全集」などという書物が、100年後の図書館の棚に、全八巻箱装で並んでいるなんて、青年「石川一」は夢にも思わなかったでしょう。 七転八倒しながら新しい表現に挑み、夭折した若き天才の不幸な人生を、俗悪で馬鹿なテレビ番組に、仕事とも言えない雛段出演して、食い扶持を稼いでいるテレビタレントが笑うのか。そういう、気分になったことを、今でも覚えています。 ついでですがテレビ局も啄木が浪費したお金は当時の朝日新聞社で筆をふるっていた夏目漱石の原稿を校正する給料の前借だったという事あたりまでを「へ-」の対象にしていれば、少しは認めてあげてもいい感じがしました。 大体、勉強不足なんじゃないですか、テレビなんてモノは。ぼくはその頃から見ないからわかりませんが、今はもっとひどいかもしれません。 啄木は26歳でこの世を去りました。死んでから、友人によってまとめられた歌集『悲しき玩具』の歌をひとつ紹介します。 新しき明日の来たるを信ずという 冷え切った夢や希望を懐に抱きながら、苦闘する青年歌人について、同じ時代を生きた、ニ十歳年上の漱石がどんな眼差しを向けていたのか。実は、どなたもが教科書でお出会いになる「こころ」という作品の登場人物の「先生」と「私」の年齢の差は、漱石と啄木のそれとぴったり一致しているのですね。 ボタン押してね! ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.05.15 23:30:08
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