後藤繁雄「独特老人」(ちくま文庫)
最初に断っておきますが、自ら、老人の境地をかみしめる年齢というわけで、こんな書名に気持ちが引かれたのではありません。著者に対する、単なる好奇心から手に取っただけなのです。
後藤繁雄という名前を知ったのは、京都造形芸術大学で2006年に行われた「スーザン・ソンタグから始まる:ラジカルな意思の彼方へ」というシンポジウムを本した「スーザン・ソンタグから始まる」という新書版の本の中でした。2004年、白血病でなくなってしまったソンタグに対する、真摯な発言を記録した好著であり、中でも、シンポジウムの司会をしてる後藤繁雄に興味を持ちました。
「この人、どういう人?」
そこの学校の先生をなさっていて、で、編集者というのが本業らしいのですが、調べていると、「独特老人」(ちくま文庫)という著書が出てきました。手に入れて読んでみて、驚いた、と、まあ、そういうわけです。
「いや、面白いのなんのって!」
ビックリマークを三つぐらいつけたいほどの発見でした。
資生堂のPR誌「花椿」が連載していた28人の老人のインタビュー集です。資生堂というのは、もちろん、あの資生堂で、ぼくなんか、自信をもって断言しますが、全く縁がない会社です。そこのPR誌を、どんな人が読むのか、もちろん、想像もつかないということです。
で、文庫になったのは2015年ですが、単行本ができたのが2001年だそうです。だから、実際にインタビューしたのは1990年代というわけです。登場人物たちは、1990年当時、70代から80代の老人です。どなたも、男性。一番若い人で1926年(大正15年)生まれの沼正三。一番年寄りは1896年(明治29年)生まれの芹沢光治良でした。
大雑把に言えば1900年から1925年、すなわち20世紀の初めの四半世紀生まれの男たちということですね。2018年現在では、実はこの28人の中で流政之という石の彫刻家だけは御存命だったのですが、この本を読んでいる最中の7月7日に亡くなってしまいました。
「そして誰もいなくなった!」
わけです。ここまでで、ビックリマークひとつぶんくらいですね。
メンバーを紹介してみましょう。それぞれのインタビューの中の、ぼくなりのこの一言をあげてみます。
若い人に限らず、この老人たちについて、名前を聞けば、「ああ、あの人だ」と分かる人は、もう少ないのではないでしょうか。みなさん、口をそろえておっしゃるにちがいない。
「この人、どういう人?」
そういうわけで、ほんとは、もっと詳しい解説がいりそうですが、それはまた別の機会ということで。
森敦(小説)
「われ逝くものごとく」というのは、キラキラの「キラ」であって意味じゃないんです。
埴谷 雄高(小説)
「死霊」の完成のメドですか?いや、まあ、わかりません。
伊福部 昭(音楽)
タンポポには桜の批評はできないんです。
升田 幸三(将棋)
将棋でもなんでも、一手一手無事で済まそうと思ったら大変だ。
永田 耕衣(俳句)
私はさみしいという場合には「寂」という字を使う、
「夢の世に葱を作りて寂しさよ」。
流政之(石彫)
零戦乗ってたけど生死の間をさまようなんて、考えたこと全然ない。
山田 風太郎(小説)
この年まで大した病気もしないでやってこれたのは、あんまり仕事しないからじゃないですかね。
梯 明秀(哲学)
もう一度生まれ変わったとしたら、こんなあほらしい職には就かんやろなあ、ハハハハ。
淀川 長治(映画)
映画はね、大衆のものでね、みんなが観るものなんですね。
大野 一雄(舞踏)
「死んじゃだめだよ」って、一生懸命ユダの耳元でオルゴールを回すような手ほどきがしたい。
杉浦 明平(小説)
日本のタンポポは滅びていくんです。
下村 寅太郎(哲学)
またいつ戦争が起こるかわからないしね。
杉浦 茂(マンガ)
あたしは、常識漫画嫌いなんですよ。
須田 剋太(絵画)
才能っていうのは病気だと思う。
安東 次男(文学)
正直言って、芭蕉にこんなにはまるんじゃなかったという思いがあります。
亀倉 雄策(デザイン)
僕の一番大きな問題ってのは、一体いつデザインをやめようかっていうことです。
細川 護貞(政治)
私が政治に関係したというか、近くにいたのは戦争の前です。
水木 しげる(マンガ)
私はね、これでいて、美を好む男なんですよ。
久野 収(哲学)
僕なんか好きでやってるから、後悔とかはないですよ。
芹沢 光治良(小説)
みんなが、死に急ぐから死んじゃいけないと言いたくて、そういうことを言うところがないから、これ(「巴里に死す」)に書いたんです。
植田 正治(写真)
ですから死ぬまで同じものを撮り続けるという根気は僕にはございませんね。
堀田 善衛(小説)
やっぱり、「未決の思想」の方が面白いんじゃないですか。
多田 侑史(茶道)
私の場合、もちろんすべて道楽ですよ。
宮川 一夫(映画カメラマン)
人間の目で見極めなきゃいけないものが、どうしてもあるんでね。
中村 真一郎(小説)
今ね、非国民を主人公にして、それが本当の人間だっていう小説書こうって思ってるんです。
沼 正三(小説)
男は一匹の昆虫のように、捕まりたくて蝶々のように飛び回ってる。
吉本 隆明(詩・批評)
ほんの少しの部分がね、よく自分でもわかっていないところがあってね。
鶴見 俊輔(哲学)
じゃあ、また迂回して答えよう。
最後まで、読んできて、20世紀の初頭に生まれた、この老人たちのインタビューの中に、「この人が加わればすごいよな。」という人を、一人思いついた。1901年4月29日生まれのあの人です。まあ、冗談で言っても叱られそうなのでこれくらいにしておきますが、その同時代の、桁外れの面々ですね。
これだけの人たちと、直接、出会っただけでも、脱帽ものですが、おしゃべりをさせて、その内容たるや、ほとんど非常識というほかないのです。まあ、それでは褒めていることにならないですから、著者自身の言葉をそのまま使いますね。
「破格だ!」
まさに、看板に偽りなし。(S)2018/10/25
追記2019・08・29
この本をきっかけにしてというか、ただの偶然というか、流政之の、不思議におおらかな石彫が神戸には複数あることを知ったし、堀田善衛の「ゴヤ」を読みなおし始めたりしている。
このブログで、なんか、みんなが忘れてしまったり、若い人が知らないまま通り過ぎたりする「文化」や「知性」を少しでの紹介できればいいなと思うようになった。こういう、面白いうのがあるよっていうようなスタンス。誰かが立ち寄って気付いてくれると嬉しい。
追記2019・08・31
この本をブログで案内したのは、去年のことだが、その時面白がってくれたお友達二人と、神戸で会った。二人は関東で暮らしていて、ブログだからコミュニケーションが取れる。会ったのは昨日、8月29日のことだ。流政之の彫刻を案内して、メリケン波止場をウロウロして、夜は三宮の駅前で、もう、二人と、計、五人で会ってビールを飲んだ。40年続く、みんなのやさしさが、心にしみた。
追記2020・07・15
「激動」の、あるいは「コロナ」の2020年が半年過ぎた。この本にでてくる人が生きていたらなんというだろう。
こういうことをいうと、「何を寝ぼけているのだ」と叱られるかもしれないのだが、急激に世界が変化していく中に、ポツンと取り残されている感じが、今このこの瞬間の実感だったりするのだ。これは年齢のせいだろうか。世に流布する「言説」にピンとくるものが、本当に一つもないのは不安なものだ。
追記2022・12・11
2022年が暮れようとしています。来年は2023年です。最近、「近代150年」というフレーズを目にする機会が多いのですが、ぼくが中学生だった頃には「明治100年」が流行り言葉だったわけで、あれから50年、半世紀(本当は半世紀以上)たったわけです。
で、100年を単位で考えれば昭和元年が1926年なわけで、「昭和100年」という言葉が思い浮かんだりするのですが、たぶん、流行らないでしょうね。この本に登場する人たちが見事に忘れ去られているように、「昭和」なんて元号もおそらく忘れ去られていくのでしょう。
でもね、「昭和」って、忘れちゃいけない時代だったんじゃないかと思ったりもするわけですが、そんなことを思うのは、後ろ向きなのでしょうかね。
にほんブログ村
にほんブログ村