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高山宏「夢十夜を十夜で」(羽鳥文庫)
由良君美という伝説的英文学者を以前、紹介しましたが、その時に出てきたお弟子さんで、その時話題にしたのは四方田犬彦という、まあ、映画評論家と、もう一人が高山宏という人でした。で、今回は、その高山宏のご案内です。 もともと、イギリス文学ですか、マニエリスムに対する造詣の深さが圧倒的な研究者ですね。グスタフ・ホッケとか、名前を出しても、普通の人にはよくわからないかもしれません。「アリス狩り」という有名な評論シリーズで、ぼくのような素人の門外漢でも、名前を知った人です。 最近の仕事は羽鳥書店という本屋さんから「新人文感覚Ⅰ 風神の袋」・「新人文感覚 II 雷神の撥」が出ていて、本の名前だけで「ほしい!」となるのですが、もちろん、装丁もかっこいい、しかし、1冊14000円となると、ちょっとビビってしまいます。0の数をお間違いにならないようにね(笑)。 同じ羽鳥書店の「はとり文庫」というシリーズに、その二冊の副読本と銘うった「夢十夜を十夜で」という、しゃれた本があります。0の数が一つ少ないということで、今日のご案内はこっちです。 不思議の国のアリスの達人高山宏が、漱石、それも「夢十夜」を?いや、彼なら「夢十夜」こそを、かもしれませんね。 漱石の作品の読解や、評論は、腐るほどあります。別に、書物は腐らないけど、中は腐っているといいたいようなのもあるかもしれません。 この本は高山宏が大学の授業で漱石を取り上げた実況中継です。さすがですね、生きがよくてピチピチしていました。 アジアからの留学生をどう「獲得」するかが二十一世紀初頭、日本の各大学の「生き残り」条件の一つと言って世上かまびすしい。試行錯誤がしばらく楽しくも居心地悪い過渡期の「国際系」に、このところ自分が唱え始めている「新人文学」がいきなり巻き込まれた形である。 読者に向けた開講の辞です。自負と自信を感じますが、ここから、さすが高山宏ともいうべき展開が始まります。 いきなりその場で当てられたにもかかわらず、巧いバトン・リレーのようによどみなく音読する。よしよしその調子。つい書き写す気になってくれた諸君はいるかねと尋うと、残念これはいない。別に提出しろとは言わないが、次回からは書き写してみること、と改めて指示を出した。 「百年待つというというのもこの場合にはほどよい気がする。十年では現実味があって合わないし、千年では百合と相性が悪い」とか「百合の百と百年待っていてくださいがかけられていて、実際には百年も待っていなかったのではないか」という答えを紹介して、百年というのは現実に無理とする他の何人かの懐疑派の疑問に答えることをもって九十分の白熱授業は始まった。 これが「夢十夜」の第一夜、第一講のさわり。老婆心ながら、付け加えると、漱石がイギリスで出会ったのは、講義中の十八世紀イギリスロマン主義です。 ぼくが、高山宏に惹かれる理由はお分かりいただけるでしょうか。彼の博学と、ユーモアあふれる授業で素人大学生が「比較文学」の扉を開ける様子がまざまざと伝わってくるじゃないですか。そこが、何ともいえません。 面白いでは言い尽くせない。新人文科学の広さと奥の深さにはため息が出ますね。この一冊読み終えると、もう一度、高校生相手に漱石を語りたくなってしまいます。 ボクなら、と、浅学菲才も顧みず、これも持ち出してみると思いついたのが、近藤ようこのマンガ「夢十夜」(岩波書店)です。もちろんこのマンガは、ヤサイクンのマンガ便の断捨離ものではありません。 近藤ようこは「うる星やつら」の高橋留美子と高校の同級生で、同じ漫研出身だそうです。独特の作品解釈をなにげなく怪しい線で描くマンガ世界。小説とは違うマンガ小説、遊技的再解釈になっているところが、じつに魅力的な人なのです。 高山宏といい、近藤ようこといい、抜群の才能というものは、この世にはあるものなのだと、つくづく思う、今日この頃です。(S) ボタン押してね! にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.11.10 13:02:44
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