フレデリック・ワイズマン「チチカット・フォーリーズ 」元町映画館
フレデリック・ワイズマン特集第5弾です。「ジャクソン・ハイツへようこそ」と二本立て鑑賞でした。「ジャクソン・ハイツ」が189分。「チチカット・フォーリーズ」が84分。計273分、4時間半の長丁場で、その上、この映画はモノクロ・フィルムときています。
「ジャクソン・ハイツ」を一緒に見ていたチッチキ夫人は、
「じゃあ、頑張ってね。」
の言葉を残して、お先にサヨナラしてしまいました。
そうはいっても、ワイズマンのデビュー作、見ないわけにはいきません。結果は期待を越えて、納得でした。ひょっとしたら、ここまで見てきたワイズマンの作品の中で、一番ラジカルな映画だったのではないでしょうか。
マサチューセッツ州にある精神に異常をきたしていると判断された犯罪者の矯正施設、州立の刑務所なのですが、そこにカメラが入っています。
「チチカット・フォーリーズ」という題名は、映し出される受刑者たちによる演芸会の名前でしょうか。チチカットは地名、フォーリーズは「寸劇」という意味らしいですから、「チチカットの寸劇」とでも訳せるのでしょうね。
もっともfollyは「愚か者」ですから、「チチカットの愚者たち」と訳す方が、わかりやすいかもしれません。
さて、この映画で「愚か者」とは精神病者を指しているのでしょうか?そこが、この映画の肝だったと、ボクは思いました。
何本か、最近のワイズマンの作品を見た眼でいえば、「いつものワイズマン」というわけで、矯正施設で服役している受刑者はもちろんのことですが、働いている看守、医者、ソーシャルワーカーというふうに、その場にいるあらゆる人間の行動や発言が、まさに赤裸々に映し出されています。
出来上がった映画、つまり、ぼくが見たこの映画は、当時のマサチューセッツ州政府から訴えられたそうです。
「受刑者である患者のプライバシーを著しく侵害するもの」
というのが訴追の理由だそうですが、その後1990年代に至るまで裁判で争われ、最後にはワイズマンが勝ったそうです。まあ、だから、今日、ここで見る事が出来るわけです。
では、本当のところ、なにが、問題だったのでしょうか。それは、この映画を見た人間には、一目瞭然だとぼくは思いました。
精神病患者である囚人たちの日常生活の異常な光景が映し出されます。しかし、その一つ一つの出来事に、全く、たじろぐことのないカメラ・ワークは、結局、彼らを治療し、教導するはずの「健常」な人々の「悪」を鮮やかに映し出します。
この映画で「愚者」を演じているのは、実は、医者であり、看守であり、このような施設の存在を許していた、アメリカという社会そのものだったのです。
マサチューセッツ州政府の権力者たちが隠したかったのは、受刑者たちのプライバシーというよりも、権力による人権侵害、はっきり、犯罪という方がいいかもしれませんが、だったことは間違いないと思います。
ワイズマンは「人間」が「人間として生きる現場」をドキュメントする監督だと思いますが、このデビュー作は「人間」を「人間として扱わない人々」の表情を容赦なく写し撮り、「告発」していると思いました。この監督が「何処からやって来たのか?」それが、よくわかる作品だと思いました。
エンドロールの、一番最後、記憶があいまいなので、不正確かもしれませんが、こんなテロップが流れました。
「この映画の撮影後マサチューセッツ州矯正院はシステムと環境の改善を行った。」
それにして、ここまでのシーンを撮影することができた監督の「凄さ」と、公開することを許すアメリカという社会の「深さ・広さ」にため息で、しばらく、立ち上がれませんでした。
元町映画館のワイズマン特集、完走しましたよ(笑)。パチパチ!
監督 フレデリック・ワイズマン 撮影 ジョン・マーシャル
原題 「Titicut Follies」1967年 アメリカ 84分 モノクロ
2019・12・06元町映画館no31
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