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ケン・ローチ「家族を想うとき Sorry We Missed You」シネ・リーブル神戸
30代の半ばから30年間、映画館から遠ざかっていました。それでも記憶に残っている数本の映画があります。たとえば「麦の穂をゆらす風」、ケン・ローチがアイルランドの悲劇を描いた映画でした。 そのケン・ローチの新作がシネ・リーブルにかかっていました。邦題が「家族を想うとき」、原題は「Sorry We Missed You」。直訳すれば「すれちがいばっかりで、ごめんね」とでも訳せるのでしょうか。 チラシには4人家族のスナップ写真が載っています。就職の面接かなにかの会話が聞こえてきて、映画は始まりました。 おそらく四十代でしょうね、妻のアビーは介護福祉の仕事しています。夫のリッキーは、仕事を失っているようで、新しく運送業を始めようとしているところのようです。新しい自動車が必要ですが、お金はありません。アビーが訪問介護で使用している軽自動車が売られて、リッキーの新しい仕事が始まります。夫婦は二人ともまじめに働いています。しかし、朝早くから、夜遅くまでの労働時間は尋常ではありません。 仲のよさそうな兄のセブと妹のライザの二人の子供がいます。高校生と、まだ小学生でしょうか。セブは、多感な時期を迎えているようだし、ライザはまだ小学生ですが、二人とも素直ないい子たちです。父親と母親の、子どもたちとの接し方も、温かいし、誠実です。 「何か」が失われていきます。毎日の暮らしに必要な、小さな「何か」ですが、それがなになのか、多分、言葉にすると微妙に間違いそうな「何か」です。家族のそれぞれが、その「何か」を失い、少しづつ「すれ違い」が始まります。あたたかく、しかし、哀切で不安に満ちた世界が、小さな家族の中に少しづつ広がってゆきます。 いつの間にか、水も食料も失って疑心暗鬼になった漂流する難破船の乗組員のようになっていく家族の姿が映し出されてゆきます。 誠実な夫リッキーが身も心も、まさに、満身創痍で破滅の渦としか思えない現実の中に、自ら飛び込み、押し流されていくとでもいうほかないシーンでスクリーンは暗転し、絶望を暗示して映画は終わりました。 暖かい大団円の好きな人は、見ない方がいいかもしれません。そういえば「麦の穂をゆらす風」でもそうでした。あれから10年以上たって、80歳を越えたケン・ローチの現代社会を、そして、そこで生きる人間を映し出す映像の「きびしさ」と「やさしさ」が、この映画を忘れられないものにすると思いました。 アビーが介護の現場で出会う老人や障害者の生活と彼女の誠実な態度、リッキーの業務の過酷さ、セブの自己表現である落書き、小さなライザの家族に対する思いやり、丁寧に撮られたシーンの一つ一つが記憶に刻まれたように思います。 しかし、それにしても老監督の「絶望」(いや「怒り」というべきか?)は、半端ではありません。中途半端な、涙を許さないラストシーンは、生ぬるい「カタルシス」を求める、甘さを断罪するかのようでしたよ。 シネ・リーブルを出ると、ルミナリエ最終日の雑踏とスピーカーから流れる交通整理の音に出くわしてしまいました。いつも、映画のあとで一服する喫煙コーナーは封鎖されていて、町の風情が変わっていました。雑踏を逆流して歩きながら、何とも言いようのない、「落ち着かなさ」が沸き上がってきました。 「Sorry We Missed You」は、「ごめん、忘れていたよ、君たちのこと。」って、訳せるんじゃないかって、ふと思いました。 監督ケン・ローチ Ken Loach お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.11.29 11:07:54
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