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カテゴリ:映画 日本の監督 タ行・ナ行・ハ行 鄭
広瀬 奈々子「つつんで、ひらいて」神戸アート・ヴィレッジ・センター
我が家の同居人チッチキ夫人は本屋さんで働いているパートさんです。で、本が好きです。「つつんで、ひらいて」のチラシを持ち帰って来たのは彼女です。 「これ、ええと思わん?」 というわけで、金曜日の朝の10時過ぎ、シマクマ君は一人でアート・ヴィレッジにやって来たのでした。座って、持参のポットからコーヒーを飲んでいると始まりました。 手が映し出されて、なにかが印刷されている紙をクシャクシャにしながら筒状に丸めて、雑巾を絞るようにしてから開きます。もう一度繰り返して、机に広げてしわを伸ばして、コピーをとりました。 「酒と戦後派」という太めの文字にひびが入ったようになりました。手の持ち主は、納得したようです。この方が、本を「こさえて」いる人、菊地信義ですね。本の中の文章を書いた人は埴谷雄高です。 もう、このシーンで映画を見ているぼくは「ウフフ」という気分です。しかし、映像は畳みかけてきます。今度は「雨の裾」、五年前に出た古井由吉の短編集の表紙が出てきました。「雨」という文字が写ります。 この本です。「雨」の文字が独特で、金箔です。カバーにはカーテンのような透かしがあって向う側にもう一人の女性がいます。カバーを取ると表紙、色はご覧の通りで、緑がかった灰色で、手触りが独特です。それをあけると中表紙があってレンガ色です。そして、栞の紐の色がもう少し鮮やかな赫です。 それから「帯」です、ぼくは「腰巻」と呼んでいますが、色は白です。透けて見える丈夫そうな紙質で、透かし模様が入っていて、なんと、この本の場合、その模様は一冊一冊すべて違ってくると装丁家菊地信義が語っています。 えっ、一冊ずつみんな違うって?! 帰宅して書棚を探し、見てきた映像を思い出しながら「雨の裾」をコピーしてみました。ああ、何ということでしょう。腰巻がありません。ぼくは、読んでいて邪魔になる腰巻を捨てることはありませんが、栞代わりに本に挟んだり、ちょっと横に放りだしたりすることがあるのですが、その結果でしょうか。まさか、腰巻にこの本の唯一性が宿っているなんて思いもしませから、いい加減に紛失したに違いありません。ああ、今となっては後の祭りです。 ここまでが装丁家の仕事です。しかし、映像は続きます。印刷、製本、カバーを掛けて、短冊を入れて荷造り、そして出荷。機械が菊地信義の作品に対する「読み」が込められたデザインの「表現」を形に作り上げてゆきます。この一連のシーンの機械も、職人さんの動きも楽しい。本が出来上がっていきます。 出来上がったばかりの「一つつみ」の同じ本を書斎に持ち帰り、積み上げたり、広げたり、並べ直しながら装丁家がデザインの意図を語ります。 映画の立ち上がりからここまで、一冊の本が出来上がる工程と、ほっとした顔をする装丁家をカメラは捉えています。もう、うっとりするしかありません。 作家の古井由吉や、菊池のお弟子さん(?)の水戸部功をはじめ、多くの人が語ります。どのシーンのどの言葉も菊地信義という「本をこしらえる人」の内側にあるものを浮き彫りにしていく言葉です。 湘南の海と海を見ている菊地信義の姿が写りました。ぼくは手の仕事として「本」を作る時代が、今、去りつつあることを感じました。 のんびりした歌が聞こえてきて映画が終わりました。 フーと息が抜けて、しばらく座り込んでいましたが、しようがないので立ち上がって、受付でパンフレットを買いました。ぱんふれっとをかうには そこから、神戸駅に向かって、ちょっと急ぎ足で歩きました。ひょっとしたら仕事に向かうチッチキ夫人に、このパンフレットを見せる事が出来るかもしれないと思ったのです。 ザンネンながら遭遇することはできませんでしたが、夜になって帰宅した彼女は書棚からあれこれ本を取り出して奥付を調べたり、コピーしたりしているシマクマ君に聞きました。 「おもしろかったん?」 翌日の土曜日、チッチキ夫人は十三の第七芸術劇場に出かけてゆきました。 監督 広瀬奈々子 プロデューサー 北原栄治 撮影 広瀬奈々子 編集 広瀬奈々子 音楽 biobiopatata エンディング曲 鈴木常吉 キャスト ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.12.28 22:49:18
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