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カテゴリ:読書案内「川上弘美・小川洋子・佐伯一麦」
週刊読書案内 川上弘美「神様」・「神様2011」(講談社)
高橋源一郎の「非常時のことば」(朝日文庫)という評論を読んで感想を書きました。その本の二つ目の評論というか、「非常時のことば」が第一章だとすると、第二章は「ことばを探して」というタイトルの評論なのですが、その章で川上弘美の「神様」と「神様2011」という作品が丁寧に読み返されています。 「神様」という作品は1996年に芥川賞をとった「蛇を踏む」より、二年早く書かれた、彼女のデビュー作ともいうべき作品ですが、お読みになったことがある方はご存知のように、「くま」がアパートの三つ隣に引っ越してきて、まあ、いろいろ丁寧な挨拶があって、ある日、誘われて河原までお弁当を持って散歩に出かけてお昼寝をして帰ってくるというお話しです。 久しぶりに出現した「神様」は、黙って、自分を必要としなくなった国を歩き、おそらく、数少ない信仰の持ち主である「わたし」を抱擁するのである。そういえば、ドストエフスキーの大審問官に対しても、最後に、場違いのように出現したキリストは、その唇に口づけをして、何処ともなく去ってゆくのだった。 だが、「あのこと」が起こった。 「くま」とは神なき時代に出現した神なのですね。ここで「大審問官」の例を引っ張り出してくる、その読みの卓抜さに、まず、うなりましたが、「あのこと」が起こった結果「神様2011」として、川上弘美によって書き直された本文について高橋源一郎の結論は以下のようなものでした。 「親しい人と別れる時の故郷の習慣なのです。もしお嫌ならもちろんいいのですが」 ここで「わたし」は、「この地域に住みつづけることを選んだ」と「神様」の前で告白している。この部分こそ、「神様2011」の白眉の個所ではないだろうか。 なぜ、「あのこと」が起きたのか。 それは、人々が、「神様」を信じなくなったからだ 一つの世界だけを見ていながら、同時に、その世界に重なるように、震えて、かすかに存在している、もう一つの世界。そんな、においや気配しか存在しないような世界を感じとること。それこそが、なにかを「読む」ことなのだ。 二つの作品をお読みになったことがあれば、これで十分納得していただけるのではないでしょうか。 少しだけ補足すれば、高橋の引用は「神様2011」のお別れの抱擁のシーンですが、1994版「神様」ではこうなっています。 上記の引用の太字の部分が2011年版で加えられた記述ですね。高橋はその追記部分を問題にしています。それにしても、高橋源一郎の「読み」の定義は、素晴らしいですね。詳しくは川上弘美「神様2011」(講談社)・高橋源一郎「非常時のことば」(朝日文庫)をお読みください。 追記2010・02・14 ボタン押してね! ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.08.31 10:18:15
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