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リドリー・スコット「テルマ&ルイーズ」パルシネマしんこうえん 遠くに赤ハゲの山があって、青空に雲が浮いています。タイトルとかが映し出されますが、背景はストップしているようにみえます。
画面が切り替わって、朝のコーヒー・ショップなのでしょうか、ウエートレスの女性たちが忙しく働いていて、一息ついた女性がどこかに電話します。電話に出た女性が「テルマ」と呼びかけられていて、かけ直すと返事をして電話を切ります。 テルマは台所から隣の部屋に向かって急ぐように怒鳴り、出てきた男にコーヒーを差しだします。不機嫌な顔でコーヒーを断った男は「朝から怒鳴るな。」とテルマに文句を言います。 映画が始まりました。今日は金曜日です。見ているのはリドリー・スコットの「テルマ&ルイーズ」です。 独り者のウエートレスがルイーズ。テルマと呼ばれた女性が専業主婦です。二人はこの週末、釣りができる山小屋でバカンスの計画を立てているようです。テルマは夫のことをあれこれ気には掛けているようですが、結局、放ったらかしにして、ルイーズの乗ってきた青い車に、乱雑に荷物を積み込んで出発します。車の車種は、ぼくでも知っています。フォード・サンダーバード、バカでかいオープン・カーです。でも、この車じゃないと駄目だったんですよね、この映画は。 二人の「女」の旅が始まりました。ロード・ムービーですね。ぼくのなかでロード・ムービーというと「イージー・ライダー」とか「真夜中のカウ・ボーイ」、「スケアクロウ」なんかが思い浮かんでしまうのですが、男同士でしたよね。「俺たちに明日はない」や「明日に向かって撃て」だって、ある種、ロード・ムービーだったと思いますが、それぞれ男と女、男二人と女、でした。女性の二人連れは初めてです。まあ、それにしても、思い浮かべる映画が、みんな70年代の映画ですね。 さて、映画ですが、ここから二泊三日(この辺りは、あやふやです)の行程で、二人の女性は一級殺人、強盗、警官に対する暴行、監禁、器物破損、公務執行妨害、スピード違反と、まあ、あれこれ、もう捕まるしかないという身の上に変貌します。 最初のタイトルの山の見える平原をサンダー・バードが走っています。二人の顔がクローズ・アップされて、その美しさが記憶に刻み込まれます。このシーンを見ただけでも、ぼくは満足です。 FBIから地元の警察まで総動員の「男たち」に追い詰められていく二人は見ているのが痛々しいほどなのですが、あくまでも爽快で美しいその横顔と、あっと驚く痛快でドキドキの展開から目を離すことができません。 いよいよ、ラストです。予想通り、二人の「女」が乗ったサンダー・バードは、その名にふさわしく、グランド・キャニオンの絶壁からフル・アクセルで空に飛び出しました。 ストップ・モーションで「旅」は終わりました。 見終わって、それにしても何故か「なつかしい」味わいを噛みしめながら、劇場の入り口に立っていらっしゃた支配人のおニーさんに尋ねました。 「これって、古い?」 「はい、80年代の終わりの、リドリー・スコットですね。」 湊川公園から山手幹線、上沢通にそった歩道を西に歩きながら得心したことが二つありました。 映画の中で、強盗のやり方と生涯最高のセックスを、おバカのテルマに教えて、その代金のように6000ドルの有り金をネコババした、ムショ帰りの男J.D.はブラッド・ピットだったのですが、道理で若いはずでした。見ながら、ひょっとしてとは思っていたのですが、納得です。若き日のブラピ、なかなか見ものですよ。 それに加えてルイーズ役の女優さんスーザン・サランドンに、どこかで見たことがある感じがしていたのですが「ロッキー・ホラー・ショウ」か「イーストウィックの魔女たち」ですね、きっと。 納得の二つ目は、何ともいえないほどキッパリと「破滅」という「自由」に向かってアクセルを踏んだ女性の描き方です。これは、今の映画の描き方ではないと感じて観ていたのですが、やはり80年代の描き方でした。それも「エイリアン」のリドリー・スコットだというのですから、なるほど、「こう描くだろうな」という感じです。 映画が撮られてから30年以上の年月が経っていたのです。こうして歩いている山手幹線沿いから、少し北側に、当時通っていた職場が、今もあります。1995年の震災で町も職場の建物も姿を変えました。それでも、懐かしさは変わりません。 それにしても、空高く飛び出したテルマとルイーズは、あれからどこかに着地したのでしょうか? 監督・製作 リドリー・スコット 製作 ミミ・ポーク 脚本 カーリー・クーリ 撮影 エイドリアン・ビドル 音楽 ハンス・ジマー 主題歌 グレン・フライ「Part Of Me, Part Of You」 キャスト 1991年128分アメリカ 原題「Thelma & Louise」 「エイリアン」について、フェミニズム映画として解説しているのは内田樹の「映画の構造分析」(文春文庫)です。1980年代のアメリカ映画の分析として、とても面白いのですが、ぼくはこの映画を見て詩人石垣りんの「崖」という詩を思い浮かべました。 何だか見当違いなことを言っているようですが、テルマとルイーズを追いかけて、追い詰めていたのは、すべて「男」でした。「理解者」である刑事もいるにはいたのですが、断固としてアクセルを踏み込むルイーズを追い立てたものは、何だったんでしょう。 この詩を読んでいただければ、ぼくが言いたいことも、わかっていただけるかもしれませんね。 二人は今頃、どのあたりを飛んでいるのでしょうね。 ところで、チッチキ夫人はこの映画を見に行くのでしょうか?観に行くことを勧めていますが、70年ころのロード・ムービーの結末の辛さに出会うのではないかと疑っている彼女は、逡巡しているようです。ぼくは、彼女の感想を楽しみにしていますが・・・。 ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.11.30 09:12:17
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