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豊島圭介「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」シネリーブル神戸
3月28日の土曜日、我が家のチッチキ夫人が朝起きたらいないのです。 「ねえ、三島由紀夫のドキュメンタリー行かん?」 前夜、こういう会話があってという訳で、いつもはノンビリの土曜の朝、映画館へ直行したようです。なんか、気合が入ってましたね。 夕方帰宅して開口一番。 「なんか、めっちゃ腹立たしい映画やったわ。男ばっかりで何やってんのっていう感じ。まあ、ええとこもあったけど。ああそうや、橋本治の三島なんちゃらどこ?」 ぼくの最後の一言は、もちろん口には出さなかったのですが、そういはいってもという訳で、本日は一人で三島由紀夫の顔を拝みにやって来たシネリーブルでした。 驚きました、このところのシネ・リーブルでは考えられない客の入りです。もっとも、老人会状態は一緒でした。 映画が始まりました。豊島圭介監督の「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」です。 まず、一番の驚きは映像がカラーで、音声も実に鮮明なことでした。三島由紀夫の「声」のみならず、若き日の芥正彦を始めとする学生の声もよく聞こえます。 論戦の中で、紅潮する三島由紀夫の顔が映し出されてゆく様子や、照れたような笑顔の三島由紀夫が生身のままであることに、強く揺さぶられるような、それは、全く予想していませんでしたが、やはり感動でしょうね、そういう感じを強く感じました。 もう一つの驚きは、場の和やかさです。実は三島由紀夫と東大全共闘のこの討論会は、1969年に「三島由紀夫VS東大全共闘」という書名で新潮社から出版されています。そこには、この映画ではかなり省略されている討論がすべて載っているわけですが、今から40年前にそれを読んだぼくには、このムードで両者の討論が行われていたということはわかりませんでした。もっと空疎で殺伐としたものをイメージしていました。 ぼくがチッチキ夫人との同伴映画鑑賞に及び腰になった理由もそこにありました。読めばわかるのですが、「言葉」の上では、過剰に道化ている三島も、粋がっている学生も、今から見れば「暗い」に違いないと思っていたのです。 三島由紀夫は対等な討論の相手として学生に向き合っていて、ことばや表情から、ある種「楽しんでいる」ことが伝わってきたことは、驚きでした。三島がおどけて言うセリフに、学生たちは真っ当な笑いで応じています。これなら、一緒に見ても大丈夫だったと思いました。 ただ、ドキュメンタリー全体でいえば、納得できたわけではありません。50年の時間が経過した出来事の映像なのですから、解説的、説明的になるのは仕方のないことなのでしょう。実際にどれほどの映像があるのかは知りませんが、もしもフィルムがあるのなら討論全体を見たかったという気がしました。 ぼくはコメントしていた内田樹の少し後の世代だからでしょうか、特に橋爪大三郎の、彼自身の今のとらえ方には納得しましたが、若い小熊英二と平野啓一郎の分かり方には、少し違和感を感じました。 帰宅すると、今日はチッチキ夫人が、めづらしく、すでに帰っていました。 「何見てたん?三島?」 そのあとはナレーターの東出なんちゃらの声がアカンとか、瀬戸内寂聴スゴイとか、平和なシマクマ君家でした。 監督 豊島圭介 キャスト 驚いたことに「三島由紀夫VS東大全共闘」(新潮社)は角川文庫になっていました。我が家では行方不明ですが、古本には8000円の値段がついていました。橋本治の「三島由紀夫とはなにものだったのか」 (新潮文庫) も文庫になっていました。三島由紀夫論といえば野口武彦「三島由紀夫の世界」(講談社)も名著だと思うんですが、古本で探すしかなさそうですね。 追記2023・03・22 旧い記事を修繕していて、久しぶりに三島由紀夫のポスターを見ました。懐かしさというのでしょうか、不思議な感慨がわきました。偶然ですが、「三島由紀夫の世界」(講談社)の著者、野口先生とお出会いする機会がありました。お若かりし日には大江健三郎、三島由紀夫を論じられた先生も、今では俳諧の世界に遊んでいらっしゃるようです。お元気でした。それにしても時がたちましたね。 ボタン押してね! ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.01.05 21:36:06
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