ブレディ・みかこ「子どもたちの階級闘争」(みすず書房)
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(新潮社)を読んで、この人は信用してよさそうだと思いました。イギリスで移民として暮らしながら、子供を育てている日常を書いている「立ち位置」というのでしょうか、事象を見ているポジションの取り方と、反応の感覚の鋭さに感心しました。
そんなことを、ぼんやり考えていた時のことです。
「久しぶりにせいせいしたわよ、これ。」
チッチキ夫人が台所のテーブルに置いたのがこの本でした。
ブレイディみかこ「子どもたちの階級闘争」(みすず書房)です。
ブレイディみかこさんが2008年から2016年にわたって、イギリスの「底辺託児所」・「緊縮託児所」でボランティア保育士として働いていた時に自らの経験を綴り、ブログに載せていた記録のようです。
全体は二部に構成されていて、第一部は「緊縮託児所時代」と題されていて、2015年3月から、2016年の秋までの記録です。保守党政権下で「緊縮託児所」と彼女が呼んでいる施設が閉鎖されるまでを描いています。
第二部は「底辺託児所時代」です。「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」にも少しだけですが、話題として出て来ていますが、無職者・低所得者支援センターにあった「底辺託児所」に初めて通い始めた2008年から2010年までの記録です。
特に第二部は、当時、すでに40歳を過ぎていたアジア系の移民であった著者が、まだ幼児だった息子を連れて、ボランティアに通いながらアニーという「師」と出会い、資格を取って保育士になるという、新たな決意と行動を促したに違いない、印象的な人との出会いが描かれています。
この本は、第一部では、目の前の「社会」における著者の実践を語り、その後、第二部で「かつて」の経験を語るという構成になっています。
この構成には、第一部に現れる、一見、過激に見える著者自身の現在の姿に対する読者のためらいや驚きを第二部を読むことで、自然な納得に変えていく意図があるように思いました。
例えば、ぼくは見過ごしてしまっているのですが、自己責任を謳う新自由主義の嵐は貧しい「子供たち」に対して、より一層苛酷に襲いかかりつつあり、ブレイディみかこの怒りは正当で、かつ無尽蔵だという納得です。
もう、巷では評判の人ですね。これ以上、あれこれ書くのはやめます。第二部にある、あるボランティアの女性ロザリオとの出会いのシーンを略述して掲載します。一度読んでみてください。
ブレイディみかこの、状況に対する揺るがぬ怒りを支えている出会いの一つがここに記されているとぼくは思います。
設立当初から当該センターに出入りしている洗濯場のおばはんの話によれば、ロザリーの母親はヘロイン中毒だったそうで、父親はDVで刑務所から出たり入ったりし、実質的にはロザリーの面倒を見ていた年老いた祖母が、託児所に幼い孫を預けに来たという。
「でもそのおばあちゃんがまた、盗品を売りさばいて金儲けしてたストリート。ギャングの影の元締めで、警察がしょっちゅう家に出入りしていたから、ソーシャルワーカーがあの子を撮り上げに来たことがあった。ロザリーは泣きながら託児所に逃げてきたんだよ。自分はどこにも行きたくないって言ってね。だから母親が完全にクリーンになって病院から出てくるまで、アニーがあの子を引き取って面倒見たんだ。昔はね、そういうことを許す、上のあるソーシャルワーカーもいたんだよ。」
「綺麗な子だからね、早くからマセちゃって、あの子も手が付けられななかった。普通はね、そこでガキ生んで、上の学校なんか行かないで生活保護もらうようになって、ここの託児所にガキを預けるようになるのがこの辺の女の常なんだけど、その子の場合は全然違う形で帰ってきた。ここの出世頭だよ。」
「アニーやセーラーやジョーや、底辺託児所で働く人たちがみんなであの子と母親を支えてきた。今時の世の中にはなくなってしまった、コミュニティ・スピリットがあるんだよ、ここには。」
ある日、底辺託児所で他の子の首にかみついた野獣児アリスのところへ、ロザリーが走って行くのを見た。
「アリス、やめなさい」
そういいながら、かみつかれた子を抱きしめようと手を差し伸べたロザリーに、びくっとしてアリスが身を縮める。
底辺託児所ではよく見られる、被虐待児の特徴である。大人にたたかれ慣れている子供たちは、大人が自分の近くで手を動かすと反射的にびくっと身を縮める
「アリス、そうやって怖がるのもやめなさい」
ロザリーは泣いている子を抱き寄せながら、ぴしゃりとアリスに言った。
「そうやってびくびくすると、それが気に障ってもっとあなたを叩きたくなる人たちがいるから。叩かれたくなかったら、堂々としてなさい。とても難しいことだけど。ずっとそう思って、そうできるようにしていると、そのうちできるようになる。」
ロザリー。とは、英語でロザリオのことだ。
同じ祈祷の言葉を幾度も幾度も反復するロザリオ。
同じ腐った現実を幾度も幾度も反復する底辺社会。
しかしアンダークラスの腐りきった日常の反復の中にも祈りはある。
とても難しいことだけど、ずっとそう思って、そうできるようにしていると、そのうちできるようになる。
ロザリーはきっとその祈りを全うするためにここに戻ってきたのである。(「ロザリオ」2009・7・10)
資格取得の勉強をしながら働いていた託児所の洗濯場で、洗濯女であるおばさんから、ボランティアとして自分が育った施設に帰ってきて、すでに有能な保育士として活動する大学生ロザリーの子供時代の話を聞き、その後、託児所一の暴れん坊少女アリスの暴力沙汰を彼女が叱るシーンに遭遇した著者の経験を描いたシーンです。
こうして読んでみると、本書が「子どもたちの階級闘争」と名付けられなければならない理由が見えてくると思われませんか。追記2020・05・23
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