|
カテゴリ:読書案内「昭和の文学」
「二人の実朝」
小林秀雄「実朝」(新潮文庫)・太宰治「右大臣実朝」(新潮文庫) 平家ハ、アカルイ。ともおっしゃって、軍物語の「さる程に六波羅には、五条橋を毀ち寄せ、掻楯(かいだて)に掻いて待つ所に、源氏即ち押し寄せて、鬨(とき)を咄(どっ)と作りければ、清盛、鯢波に驚いて物具(もののぐ)せられけるが、冑(かぶと)をとって逆様に着給えば、侍共『おん冑逆様に候ふ』と申せば、臆してや見ゆらんと思はれければ『主上渡らせ給へば、敵の方へ向かはば、君をうしろなしまいらせんが恐なる間、逆様には着るぞかし、心すべき事にこそ』と宣ふ」という所謂「忠義かぶり」の一節などは、お傍の人に繰返し繰返し音読させ、御自身はそれをお聞きになられてそれは楽しそうに微笑んで居られました。 それにしても息の長い文章ですが、太宰治「右大臣実朝」(新潮文庫)の最も有名な一節です。以前「惜別」を紹介しましたが、同じ文庫に収められていた小説がこの作品です。「惜別」と同じく太平洋戦争のさなかに書かれた作品ですが、鎌倉幕府の三代将軍です。 日本史をやっている人は知っていると思いますが、北条氏の陰謀の中を生きて、死んだ。悲劇の将軍源実朝の生涯を、お側に仕えた少年が二十数年後に語るという構成をとっています。 「惜別」に比べてずっと工夫が凝らされていておもしろいと思いますが、今日はその話ではありません。実は、その作品を読みながら思い出した評論があります。 小林秀雄の「実朝」(新潮文庫「モウツァルト・無常ということ」所収)です。 小林秀雄といえば、ぼくたちの世代には入試現代文の鬼門、最後の難関と受験生から怖れられた文芸評論家ですが、今は教科書には掲載されていても、今、使っている筑摩書房の現代文の中にも実際ありますが、授業ではやらない人の代表のようになってしまいました。 諸君に対しては失礼な話ですが、今の高校生の教養ではとても理解できないと教員の方が諦めている様子で、鬼門どころか彼岸ということになってしまいました。授業をする教員も此岸の人かもしれないところが寂しいのですが・・・。まあ、人のことは言えませんね。 はははは。しかし、読みさえすればわかるのが書物というものだと思いますから、是非お読みください。 とまあ、こんな調子です。 ところで、同じ、昭和18年に書かれたこの二つの作品は、まるで互いが互いをなぞるように書かれていると感じませんか。これは驚きでした。文学的にかなり遠い位置に立っていたのではないかと、勝手に思い込んでいた二人の近さを実感したぼくの読みかたは、勘違いなのでしょうかしら。 ボタン押してね! ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.10.03 16:08:31
コメント(0) | コメントを書く
[読書案内「昭和の文学」] カテゴリの最新記事
|