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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2020.05.31
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​​​​​​​​​​​​​​徐 京植「プリーモ・レーヴィへの旅」(晃洋書房)


 1970年代の後半に大学というところでうろうろしていました。普通の人の倍近く、なすこともなく無為に暮らしていた年月があります。モラトリアムといういい方で、何もしない学生を話題にする心理学者がもてはやされていました。本来は金融政策に関する政治学の用語だったはずなのですが、当時の青年たちの心理をそうよんでいました。ぼく自身は、まさにモラトリアムでした。図書館でこの本を見つけて思い出したのは、そのころのことでした。
 
あの頃、「徐兄弟救援」という、カンパと集会参加を呼び掛ける立て看板があったことを、ボンヤリ覚えています。
 徐勝、徐俊植という在日二世の留学生の、兄は無期懲役刑、弟が10年近い禁固刑で韓国の軍事政権にスパイ活動の容疑でとらわれているのを救援するというアピールでした。
 
この本の著者が、その徐兄弟の弟だということに気付いて、この本を借りました。
 あれから50
年経ちました。大学生だった著者は大学で教えているようです。その彼がイタリアの作家、プリモ・レーヴィの墓に詣でる旅のエッセイが本書の内容でした。

死ぬ日まで天を仰いで
一点の恥なきことを、
葉うらにそよぐ風にも
私の心は苦しんだ。
星を歌う心で
すべて死にゆくものを愛さなければ
そして、私に与えられた道を
歩んで行かなければ。

今夜も星が風に吹かれる

​  イタリアへの旅を語り始める第1章にこんな詩句が掲げられていました。
 一九四五年、「治安維持法」違反の容疑で投獄され、福岡の刑務所で獄死した詩人尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩の一節です。

​ 死因には「人体実験」の疑いがあるそうですが、もちろん、事実は解明されていません。なんとか遺体を引き取ることができた家族は、死者と共に半島を縦断し、当時「間島」という地名であった詩人の故郷まで連れ帰り、現在の中国東北地方、朝鮮族自治州の龍井市の郊外の丘の墓所に葬ったそうです。
 それから半世紀後、この本の著者、徐京植は​
​異郷で死んだ朝鮮人たちの土饅頭が広がる、その墓所を訪ね、詩人の墓の前に立ちます。
 そして、その時の記憶をたどり直すことから、「プリモ・レーヴィへの旅」の記録を書き始めたのでした。​

 私はいま、真冬のイタリアにいるのだ。
 私の父母はいずれも、一九二〇年代に植民地支配下の朝鮮から幼くして日本に流れてきた在日一世である。私は解放後の一九五一年、京都市で生まれた。尹東柱は自らの言葉である朝鮮語を守って命を落としたが、私はあらかじめ自らの言葉を奪われたまま、支配者の言葉である日本語を母語として育ったのだ。
 
​母は一九八〇年に、父はその三年後の一九八三年に、相次いで世を去ったのだが、長く暮らした京都市の郊外に両親を葬った後、私は世界の諸国を歩きまわるようになった。旅の目的は多くの場合、美術館や古い教会で絵を見てまわることだが、いつの頃からか、事情が許す限り墓地に立ち寄り、有名無名、さまざまな死者たちの墓の前に立つことが習いとなった。​

 さまざまな墓の前で、私は、死者たちの声が聞こえてきはせぬかと耳を傾けてみる。だが、死者たちは何も語らない。墓は無言である。

 「墓は無言である。」しかし、いや、だからこそでしょうか。墓前に立つ覚悟を決めるかのように、​「凄まじい政治的暴力に」さらされて生き、そして自ら命を絶ったプリーモ・レーヴィが残した作品を丹念に読み返します。そこで想起されるアウシュビッツの悲惨が、そして、帰ってきて「向こう側」の記録を書き続けた作家の苦悩が考察されます。
 それらの考察は、二人の息子をを獄中に奪われて、もだえ苦しむように死んでいった父母や、軍事政権によって20年以上も獄中生活を強制された兄たちや、殖民地下の朝鮮人たちへと広がってゆきます。

 あたかも、それは、「お前は何をしてきたのだ」と、在日2世の著者自身の半生を問い返すかのような長い思索の旅の記録です。

​​ やがて、何度も、何度もレーヴィの自死の姿が思い浮かべられます。考察は、必然のように「あなたは何故自ら命を絶ったのか」という問いへと収斂し、レーヴィの墓前へと著者を誘うかのようです。​​

PRIMOLEVI
174517
1919​1987​

​​ ​​これが、たどり着いたプリーモ・レーヴィの墓碑銘のすべてだったそうです。ここでも、やはり、墓は無言でした。​

プリーモ・レーヴィの墓の前に、私は立っている。
これは何という死なのか?
どんな絶望が、あるいは、どんな倦怠が、彼を襲ったのだろう?
死者はもう、何も語らない。墓は無言だ。
墓碑に刻まれた174517という数字・・・
​ 「あなたは何故自ら命を絶ったのか。」
 著者が長い考察の末にたどり着いたこの問いを拒むかのように、墓はそこに在りました。​​

​ どこで生まれ、どこで死んだのか、レジスタンスの闘士でありアウシュビッツの生き残りであったこと、作家であり化学者であったこと、妻や家族の名、何も記されていない。六桁の数字が何を意味するかは、わかるものにしかわからないのだ。しばらくして、はっと気づいたのだが、それはプリーモ・レーヴィの左腕に入れ墨された囚人番号なのである。​

 これは「ニヒリズム」への旅の記録だったのでしょうか。20世紀、世界を覆った悲惨を、過去のことだと、「向こう側」のことだとして忘れ去ろうとしている21世紀の現在があります。我々の暮らしている国も、もちろん例外どころではありません。
 ここに、「向こう側」から奇跡的に生還しながら、「こちら側」の過酷の中で自ら命を絶った「人間」の墓があります。​「向こう側」で入れ墨された「174517」という数字だけを、墓碑として残した「人間」、プリモ・レーヴィの墓です。
 彼は「向こう側」から帰ってきたことによって、「こちら側」にある「向こう側」に、より一層苛まれ続けたのではないでしょうか。
​ いったん「向こう側」の悲惨を経験した人間は、生涯「自由」を奪われる続けるという、考えようによれば、より苛酷な悲惨が「こちら側」に「現在」するということを、墓碑銘に記された174517​」は語っているのではないでしょうか。
 他人ごとではありません。「慰安婦」であれ「いじめ」であれ、レーヴィにとっての入れ墨のように、何年たっても「奪い続ける」のです。​
それを忘れての「明るい」未来や、「わたしの幸福」はあり得るのでしょうか。
 蛇足ですが、本書で、著者が入念に読み返すプリーモ・レーヴィの作品群への考察は格好の書評であり、紹介、レビューでもあります。忘れられつつある作家ですが読みごたえがあることは間違いないと思います。
 ああ、それから尹東柱は、韓国では国民詩人と呼ばれているようですが、詩集は金時鐘の訳で岩波文庫に収められていて手に取ることができます。是非どうぞ。

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最終更新日  2020.12.17 23:11:13
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