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カテゴリ:読書案内「社会・歴史・哲学・思想」
徐 京植「プリーモ・レーヴィへの旅」(晃洋書房)
1970年代の後半に大学というところでうろうろしていました。普通の人の倍近く、なすこともなく無為に暮らしていた年月があります。モラトリアムといういい方で、何もしない学生を話題にする心理学者がもてはやされていました。本来は金融政策に関する政治学の用語だったはずなのですが、当時の青年たちの心理をそうよんでいました。ぼく自身は、まさにモラトリアムでした。図書館でこの本を見つけて思い出したのは、そのころのことでした。 死ぬ日まで天を仰いで イタリアへの旅を語り始める第1章にこんな詩句が掲げられていました。 一九四五年、「治安維持法」違反の容疑で投獄され、福岡の刑務所で獄死した詩人尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩の一節です。 死因には「人体実験」の疑いがあるそうですが、もちろん、事実は解明されていません。なんとか遺体を引き取ることができた家族は、死者と共に半島を縦断し、当時「間島」という地名であった詩人の故郷まで連れ帰り、現在の中国東北地方、朝鮮族自治州の龍井市の郊外の丘の墓所に葬ったそうです。 私はいま、真冬のイタリアにいるのだ。 「墓は無言である。」しかし、いや、だからこそでしょうか。墓前に立つ覚悟を決めるかのように、「凄まじい政治的暴力に」さらされて生き、そして自ら命を絶ったプリーモ・レーヴィが残した作品を丹念に読み返します。そこで想起されるアウシュビッツの悲惨が、そして、帰ってきて「向こう側」の記録を書き続けた作家の苦悩が考察されます。 それらの考察は、二人の息子をを獄中に奪われて、もだえ苦しむように死んでいった父母や、軍事政権によって20年以上も獄中生活を強制された兄たちや、殖民地下の朝鮮人たちへと広がってゆきます。 あたかも、それは、「お前は何をしてきたのだ」と、在日2世の著者自身の半生を問い返すかのような長い思索の旅の記録です。 やがて、何度も、何度もレーヴィの自死の姿が思い浮かべられます。考察は、必然のように「あなたは何故自ら命を絶ったのか」という問いへと収斂し、レーヴィの墓前へと著者を誘うかのようです。 PRIMOLEVI これが、たどり着いたプリーモ・レーヴィの墓碑銘のすべてだったそうです。ここでも、やはり、墓は無言でした。 プリーモ・レーヴィの墓の前に、私は立っている。 「あなたは何故自ら命を絶ったのか。」 著者が長い考察の末にたどり着いたこの問いを拒むかのように、墓はそこに在りました。 どこで生まれ、どこで死んだのか、レジスタンスの闘士でありアウシュビッツの生き残りであったこと、作家であり化学者であったこと、妻や家族の名、何も記されていない。六桁の数字が何を意味するかは、わかるものにしかわからないのだ。しばらくして、はっと気づいたのだが、それはプリーモ・レーヴィの左腕に入れ墨された囚人番号なのである。 これは「ニヒリズム」への旅の記録だったのでしょうか。20世紀、世界を覆った悲惨を、過去のことだと、「向こう側」のことだとして忘れ去ろうとしている21世紀の現在があります。我々の暮らしている国も、もちろん例外どころではありません。 ボタン押してね! ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.12.17 23:11:13
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