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カテゴリ:読書案内「翻訳小説・詩・他」
ルーカ・クリッパ マウリツィオ・オンニス「アウシュビッツの囚人写真家」(河出書房新社)
チェスワヴァ・クフォカ(1928~1943) 名前と生没年、アウシュビッツ収容所の囚人番号、ポーランドの政治犯をあらわす記号PPoleだけが、この少女がこの世に「15年間」生きた記録とし記されています。その記録ととも残されていたのは、この写真と、アングルを替えた同じサイズの2枚の小さな肖像写真でしたが、その写真も本書には記載されています。 15歳で殺されたポーランドの少女が、確かに生きていた証拠の写真と記録を、証拠隠滅に奔走するナチス親衛隊の手から、死を賭して守り抜いた男がいました。ヴィルヘルム・ブラッセという写真技師です。 彼はこのドキュメンタリィー・ノベルの主人公です。自由ポーランド軍に参加した政治犯として1940年8月31日に逮捕されます。22歳の時のことでした。 その結果アウシュビッツ収容所に連行され、以来1945年5月にアメリカ軍に解放されるまで、ほぼ5年の間、囚人番号3444として収容生活を送りました。 写真技術とドイツ語がしゃべれることをナチスに利用され、アウシュビッツ収容所の「名簿記載」係として働き、奇跡的に生還しました。2012年、94歳まで生きた人だそうです。 写真技師ブラッセは4万枚を超える犠牲者の名簿用肖像写真、ナチス親衛隊の将校や医師によって行われた、ありとあらゆる残虐行為の現場記録を写真に撮ることを仕事にさせられた人物だったのですが、生還したのち70年、二度とカメラを扱うことができなかったそうです。 そのせいでしょうか、ブラッセの「名簿記載班」での生活は、最終的に彼が収容所での生活で偶然出会い愛した女性と、解放後、再会するというクライマックスに向けて「構成」されている印象を受けました。 表紙を飾っているポーランドの少女のあどけない眼差しは、この瞬間何を見ていたのでしょう。ヴィルヘルム・ブラッセが自ら撮影し、この世に残した、証明写真の意味を、きちんと考える時代が、今、やって来つつあるとぼくは思います。いや、もう来ているのかもしれませんね。 悲劇を生んだ全体主義の再来を防ぐためにも、それがいかに悲惨なものであろうと、私たちはブラッセの撮った写真から目をそらしてはならない。 関口さんの「あとがき」の最後の言葉です。こういう発言がリアルに感じられると思うのはぼくだけでしょうか。 ボタン押してね! ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.11.25 00:37:04
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